以前 送信したもの
自己責任じゃなくて、不可抗力だと思います。
私は、今回人質となった3人は自己責任を
100%果たしていたと思います。
こんな場合に、自己責任などという言葉を持ち出すのなら。
単純なところから言えば彼らは危険を回避するために、
遠回りをするルートを選んでいるし
服装などが、浮き出すほど華美だったわけでもない。
もうひとつ付け加えるなら私が常々思っているのは、
”武器を持つことほど、危険なことは無い”
ということです。
その意味においても、彼等は私の信じる、
また多分彼等の信じた最大の自己防御策をとった
と思います。
武器を持つことほど危険なことは無いと思うのは
武器を持ったとき、それは敵意を表現し、
相手に敵意を生じさせるもととなりうると信じるからです。
本来人間には、共存するために相手を殺傷するにあたって
”良心”が痛むという、最大限のブレーキが備わっています。
でも、敵意や憎しみは、それを麻痺させ機能不可能にする。
相手が武器をもって自分に対しているとき、
人間は恐れからくる自己防御のためと
相手が自分に敵意をもっているということで、
生じる憎しみや敵意が最大限にふくらみ、
殺意もおさえがたくなると私は思います。
責任、というのは、予め予測され、
回避することが可能であったのにも関わらず
それをしなかったことにより起きたリスクに対して、
負うべきものではなかったでしょうか?
はじめに今回の事件は、彼等に予測されえたでしょうか?
いくら退避勧告が再三出されていたからといって
同じ口で、「イラクは戦闘地域ではない。
自衛隊派遣によってイラク人に
日本人に対する敵意が産まれることは無い。
イラク人は自衛隊の活動を望んでいる。歓迎されている。」
とは言ってなかったでしょうか?
同時に、「自衛隊派遣が、
自衛隊員にとっても危険だ危険だというが、
道を歩いていても、死ぬときは死ぬ」と、
言わなかったでしょうか?
道を歩くこと、と同程度の危険度、
から発せられる退避勧告をきいて退避するジャーナリストや
ボランティアがどこにいる。
今井さんは、イラクで劣化ウランにより被爆することは、
予測し、恐れていたと報道で伝えられています。
つまりそれは予想されていました。
しかし、回避は不可能でした。
なぜなら、その地において、ウラン被爆を
個人が回避することは困難であり同時に、
それであっても今井さんは、
そこに存在しなければならない人達と同じ一人の人間として
どうしても知識を持った人間=自分がイラクでその現状を調査し
摘発や警告することが必要であり避けるわけにはいかない、
避けられないと気がついたからです。
きっと実行に必要な条件がぎりぎりとはいえそろった時
(経済状態、本人に自覚される体力、知識、本人の行動力、良心など)
イラクへの渡航は彼にとって回避不可能、
不可避になったのだと思われます。
しかも、今回の”起きてしまったリスク”は、
ウランによる被爆ではありません。
また高遠さんは、生きるために手段を選ばなくなった人々による
盗賊行為などに、襲われる危険性は予想していた、
とこれも報道で伝えられていました。
そして、それを回避する為に個人にできる最大限の努力
(服装が華美ではない、地域情報にできるだけ過敏であるようにする
など)はしていました。
また、事件に巻き込まれたとしてもそれが今回のように
政治的な要素を含んだ拉致ではなく相手が盗賊目的であったなら、
その場合、相手を威嚇しないことや
持っているものは全て渡すなどの、
命だけは守る行動をとったのではないかと、
これはあくまで推測ですが。
しかし、今まで、イラク人の中に、
現在ほど政治的面から生じた敵意は無かった以上
それまでの経験から今回の事件について、
完全に予想ができていたかどうかはわかりません。
また、そのような敵意に対して
個人ひとりひとりの回避努力というのは、とても微力です。
人質となった3人がこれまでやってきた事が、
また今回もその運動の一環であるという、目的が、
この面での個人にできえた最大限の努力のしるしといえるし
事実、今回の無事救出はこれが功を奏した結果だと思います。
(たくさんの支援者がそれぞれせいいっぱい動けたのにも、
この事実が作用した部分もあるとは思いませんか?)
その点、彼等は、普通個人には望むべくも無いほどの
”回避努力”をし、自己責任を最大限に果した、といえます。
郡山さんも、同様にジャーナリストとして、
どうしても避けられない使命のために
個人にできる最大の防御策をとり、
最大限に情報収集して渡航したと思います。
つまり、実行する為の条件
(経済的なものやその為に築いてきたコネクション、
本人の実行力および自覚される体力、技術力能力知識など)
が揃った事と、人間としてそれ
(ボランティア活動や伝えられるべきイラクの現実を伝えるという使命)
は避けてはいけないことだと気がついた、
という事により、渡航は不可避であったと思われます。
また、イラクにおいて個人ができるだけの危険に対する
回避努力はしていたと、この偏向的なメディアから
伝えられる情報からだけでも、私は、判断しました。
そして、いくら個人にできる最大の努力懇願働きかけをしていたにも関わらず、
国がこういう事態を予想しながら自衛隊を派遣して
撤退させなかった、アメリカの戦争に対する支持をやめなかった
という現実が、今回の事件の最大の原因であるところの、
イラク人が自分たちに敵意を持つという危険に対しても
彼等個人には最大の努力をしたにもかかわらず、
回避が不可能だったという事実を示しています。
他にも書き忘れていることがあるかもしれませんが、
以上のことなどによりこれは、この事件は悲しいほどに不可避、
不可抗力だったと私は考えます。
自己責任という非難は、まず根本から言葉の使い方が間違っています。
この事件に対しての”自己責任”という言葉を伴った誹謗中傷から、
被害者を弁護するものの中にコリン・パウエル氏の発言をはじめとする
「彼等の、進んで身を挺して正義の為に
行動を起こすことを責めてはならない」という言葉があります。
「人質となった彼等の存在を誇るべきだ」のあとに、
「自衛隊員が派遣されている事についても誇るべきだ」と、続きます。
自衛隊員、兵士軍隊と、今回事件に巻き込まれたNGOやジャーナリストを
一緒に並べるべきではありません。あれは危険な発想です。
私達個人の力が集まったpower of the peopleは
何にもまして強い。今回この事件で、これが、
現在のこの日本という国では久しくみなかったぐらい
珍しいくらいに盛り上がったと思います。
この力が憎しみの軌道を通った時、
まっすぐアメリカの戦争や政策に向かうよりも、
少しでも”おばかさんな日本政府、冷酷無比な政府関連者”
にその方向がそれてくれれば、
アメリカはずいぶん助かるのではないでしょうか?
同時に、身を挺して、危険を冒してまで、”正義”に殉ずる美徳
(日本人はこれが大好きです)が、
もし自衛隊派遣に多少の肯定的感情を与え
自らの国の人命的リスクを、日本が少しでも多くわけもってくれる方向に
power of the peopleが向かってくれれば
アメリカにとってこんな都合の良いことはないのではないでしょうか?
つまり、「なんで日本政府は、独立した自分達の軍力で、
自分達の国の英雄を守らなかったのさ
それが国の責任なんじゃないのかぁ?
”責任”ある政府にかわってほしいわぁ」という方向に、
世論が向かってほしかったんじゃないでしょうか?
それは、この人質問題を悪利用するものじゃないでしょうか?
パウエルさんは、頭がとても良い。
彼にとっては、アメリカに最大限の利益がありさえすれば
日本の首相が、”コイズミ”であれなんであれちっともかまいません。
また、与党が自分たちに都合よく動きさえすれば
何党であろうとどんな政治団体であろうと
きっとちっともかまわないと思っているのではないかと私は邪推してしまう。
杞憂ですか?私はとてもそれが怖いです。
本来日本国政府は自衛隊を派遣すべきではなかったのです。
なぜなら、平和主義国家だから。憲法9条があるから。
戦争の傷を、痛みを、身をもって知っている国だから。
それを派遣したことがこの事件を招いた。
そして、それであってもせめて犯行グループからの声明があった時点で
自衛隊を撤退すべきだったのです。
どんな政策やどんな国交の取引よりも人命は尊重すべきものであると
毅然として示すために。それがこの国の責任だったのです。
果たされませんでしたが。
最後に、もうこれ以上恥の上塗りをしないために
せめて今回の政府の対応の悪さで傷つけた被害者に
経費を請求するなんていう愚かな行動まではしないでほしいものです。
本来なら、その政府関係者の心無い発言に挑発されて起きた
あまりにも卑劣な中傷誹謗行動に対して、
なんらかの補償があっても良いくらいであると
私は個人的には思います。
書き忘れていることたくさんあるような気がします。
でもとにかく、とりあえずはとりいそぎ。
先程送信したメール、頑張って書いたのに、
大切なところでつまらない言葉遊びをしてしまいました。
power to the peopleというのは、
最近、やたら流されている清涼飲料水のCMのBGMで
強調されている一唱節です。
(もと歌はいいんだけども。ついてくる
2人の人がぶつかりあう画面とあの言葉だけ
強調されるというのは・・)リフレインが
頭から離れないほどです。集まった力が多ければ多いほど、
加速力は強まり方向も間違えやすく修正しにくくなることもあります。
勝利の美酒は美味しいですが飲みすぎれば足元がふらつく。
気がつかないでいるうちに飲まされているのではないか、と、
気をつけないといけないと思っています。
(私の過剰悲観ですんでほしいですが)
英文法を間違えた(私なら充分ありうる)
と思って意を正しく汲んでいただけていたらいいのですが、
もし長々にもかかわらず読んでいただけていてなのに
何を言いたいのか意味がわからなくなってしまっていたら
とまぁどうせわけわからない文章ですがなんにしろ
自分にしかわからないかもしれないような変な言葉使いを
するべきじゃありませんでした。
考えすぎで頭もなべも煙が出ています。
ものは落とすし、転ぶしぶつかるし・・・
それと、パウエル杞憂ですが、時事世論調査によれば
自衛隊派遣賛成者(撤退反対者)が、この状況で(!!)
45.4%もいるらしいですね。
私の愚かな杞憂であればどんなに良いかと祈らずにはおれませんが・・・
私は、今回人質となった3人は自己責任を
100%果たしていたと思います。
こんな場合に、自己責任などという言葉を持ち出すのなら。
単純なところから言えば彼らは危険を回避するために、
遠回りをするルートを選んでいるし
服装などが、浮き出すほど華美だったわけでもない。
もうひとつ付け加えるなら私が常々思っているのは、
”武器を持つことほど、危険なことは無い”
ということです。
その意味においても、彼等は私の信じる、
また多分彼等の信じた最大の自己防御策をとった
と思います。
武器を持つことほど危険なことは無いと思うのは
武器を持ったとき、それは敵意を表現し、
相手に敵意を生じさせるもととなりうると信じるからです。
本来人間には、共存するために相手を殺傷するにあたって
”良心”が痛むという、最大限のブレーキが備わっています。
でも、敵意や憎しみは、それを麻痺させ機能不可能にする。
相手が武器をもって自分に対しているとき、
人間は恐れからくる自己防御のためと
相手が自分に敵意をもっているということで、
生じる憎しみや敵意が最大限にふくらみ、
殺意もおさえがたくなると私は思います。
責任、というのは、予め予測され、
回避することが可能であったのにも関わらず
それをしなかったことにより起きたリスクに対して、
負うべきものではなかったでしょうか?
はじめに今回の事件は、彼等に予測されえたでしょうか?
いくら退避勧告が再三出されていたからといって
同じ口で、「イラクは戦闘地域ではない。
自衛隊派遣によってイラク人に
日本人に対する敵意が産まれることは無い。
イラク人は自衛隊の活動を望んでいる。歓迎されている。」
とは言ってなかったでしょうか?
同時に、「自衛隊派遣が、
自衛隊員にとっても危険だ危険だというが、
道を歩いていても、死ぬときは死ぬ」と、
言わなかったでしょうか?
道を歩くこと、と同程度の危険度、
から発せられる退避勧告をきいて退避するジャーナリストや
ボランティアがどこにいる。
今井さんは、イラクで劣化ウランにより被爆することは、
予測し、恐れていたと報道で伝えられています。
つまりそれは予想されていました。
しかし、回避は不可能でした。
なぜなら、その地において、ウラン被爆を
個人が回避することは困難であり同時に、
それであっても今井さんは、
そこに存在しなければならない人達と同じ一人の人間として
どうしても知識を持った人間=自分がイラクでその現状を調査し
摘発や警告することが必要であり避けるわけにはいかない、
避けられないと気がついたからです。
きっと実行に必要な条件がぎりぎりとはいえそろった時
(経済状態、本人に自覚される体力、知識、本人の行動力、良心など)
イラクへの渡航は彼にとって回避不可能、
不可避になったのだと思われます。
しかも、今回の”起きてしまったリスク”は、
ウランによる被爆ではありません。
また高遠さんは、生きるために手段を選ばなくなった人々による
盗賊行為などに、襲われる危険性は予想していた、
とこれも報道で伝えられていました。
そして、それを回避する為に個人にできる最大限の努力
(服装が華美ではない、地域情報にできるだけ過敏であるようにする
など)はしていました。
また、事件に巻き込まれたとしてもそれが今回のように
政治的な要素を含んだ拉致ではなく相手が盗賊目的であったなら、
その場合、相手を威嚇しないことや
持っているものは全て渡すなどの、
命だけは守る行動をとったのではないかと、
これはあくまで推測ですが。
しかし、今まで、イラク人の中に、
現在ほど政治的面から生じた敵意は無かった以上
それまでの経験から今回の事件について、
完全に予想ができていたかどうかはわかりません。
また、そのような敵意に対して
個人ひとりひとりの回避努力というのは、とても微力です。
人質となった3人がこれまでやってきた事が、
また今回もその運動の一環であるという、目的が、
この面での個人にできえた最大限の努力のしるしといえるし
事実、今回の無事救出はこれが功を奏した結果だと思います。
(たくさんの支援者がそれぞれせいいっぱい動けたのにも、
この事実が作用した部分もあるとは思いませんか?)
その点、彼等は、普通個人には望むべくも無いほどの
”回避努力”をし、自己責任を最大限に果した、といえます。
郡山さんも、同様にジャーナリストとして、
どうしても避けられない使命のために
個人にできる最大の防御策をとり、
最大限に情報収集して渡航したと思います。
つまり、実行する為の条件
(経済的なものやその為に築いてきたコネクション、
本人の実行力および自覚される体力、技術力能力知識など)
が揃った事と、人間としてそれ
(ボランティア活動や伝えられるべきイラクの現実を伝えるという使命)
は避けてはいけないことだと気がついた、
という事により、渡航は不可避であったと思われます。
また、イラクにおいて個人ができるだけの危険に対する
回避努力はしていたと、この偏向的なメディアから
伝えられる情報からだけでも、私は、判断しました。
そして、いくら個人にできる最大の努力懇願働きかけをしていたにも関わらず、
国がこういう事態を予想しながら自衛隊を派遣して
撤退させなかった、アメリカの戦争に対する支持をやめなかった
という現実が、今回の事件の最大の原因であるところの、
イラク人が自分たちに敵意を持つという危険に対しても
彼等個人には最大の努力をしたにもかかわらず、
回避が不可能だったという事実を示しています。
他にも書き忘れていることがあるかもしれませんが、
以上のことなどによりこれは、この事件は悲しいほどに不可避、
不可抗力だったと私は考えます。
自己責任という非難は、まず根本から言葉の使い方が間違っています。
この事件に対しての”自己責任”という言葉を伴った誹謗中傷から、
被害者を弁護するものの中にコリン・パウエル氏の発言をはじめとする
「彼等の、進んで身を挺して正義の為に
行動を起こすことを責めてはならない」という言葉があります。
「人質となった彼等の存在を誇るべきだ」のあとに、
「自衛隊員が派遣されている事についても誇るべきだ」と、続きます。
自衛隊員、兵士軍隊と、今回事件に巻き込まれたNGOやジャーナリストを
一緒に並べるべきではありません。あれは危険な発想です。
私達個人の力が集まったpower of the peopleは
何にもまして強い。今回この事件で、これが、
現在のこの日本という国では久しくみなかったぐらい
珍しいくらいに盛り上がったと思います。
この力が憎しみの軌道を通った時、
まっすぐアメリカの戦争や政策に向かうよりも、
少しでも”おばかさんな日本政府、冷酷無比な政府関連者”
にその方向がそれてくれれば、
アメリカはずいぶん助かるのではないでしょうか?
同時に、身を挺して、危険を冒してまで、”正義”に殉ずる美徳
(日本人はこれが大好きです)が、
もし自衛隊派遣に多少の肯定的感情を与え
自らの国の人命的リスクを、日本が少しでも多くわけもってくれる方向に
power of the peopleが向かってくれれば
アメリカにとってこんな都合の良いことはないのではないでしょうか?
つまり、「なんで日本政府は、独立した自分達の軍力で、
自分達の国の英雄を守らなかったのさ
それが国の責任なんじゃないのかぁ?
”責任”ある政府にかわってほしいわぁ」という方向に、
世論が向かってほしかったんじゃないでしょうか?
それは、この人質問題を悪利用するものじゃないでしょうか?
パウエルさんは、頭がとても良い。
彼にとっては、アメリカに最大限の利益がありさえすれば
日本の首相が、”コイズミ”であれなんであれちっともかまいません。
また、与党が自分たちに都合よく動きさえすれば
何党であろうとどんな政治団体であろうと
きっとちっともかまわないと思っているのではないかと私は邪推してしまう。
杞憂ですか?私はとてもそれが怖いです。
本来日本国政府は自衛隊を派遣すべきではなかったのです。
なぜなら、平和主義国家だから。憲法9条があるから。
戦争の傷を、痛みを、身をもって知っている国だから。
それを派遣したことがこの事件を招いた。
そして、それであってもせめて犯行グループからの声明があった時点で
自衛隊を撤退すべきだったのです。
どんな政策やどんな国交の取引よりも人命は尊重すべきものであると
毅然として示すために。それがこの国の責任だったのです。
果たされませんでしたが。
最後に、もうこれ以上恥の上塗りをしないために
せめて今回の政府の対応の悪さで傷つけた被害者に
経費を請求するなんていう愚かな行動まではしないでほしいものです。
本来なら、その政府関係者の心無い発言に挑発されて起きた
あまりにも卑劣な中傷誹謗行動に対して、
なんらかの補償があっても良いくらいであると
私は個人的には思います。
書き忘れていることたくさんあるような気がします。
でもとにかく、とりあえずはとりいそぎ。
先程送信したメール、頑張って書いたのに、
大切なところでつまらない言葉遊びをしてしまいました。
power to the peopleというのは、
最近、やたら流されている清涼飲料水のCMのBGMで
強調されている一唱節です。
(もと歌はいいんだけども。ついてくる
2人の人がぶつかりあう画面とあの言葉だけ
強調されるというのは・・)リフレインが
頭から離れないほどです。集まった力が多ければ多いほど、
加速力は強まり方向も間違えやすく修正しにくくなることもあります。
勝利の美酒は美味しいですが飲みすぎれば足元がふらつく。
気がつかないでいるうちに飲まされているのではないか、と、
気をつけないといけないと思っています。
(私の過剰悲観ですんでほしいですが)
英文法を間違えた(私なら充分ありうる)
と思って意を正しく汲んでいただけていたらいいのですが、
もし長々にもかかわらず読んでいただけていてなのに
何を言いたいのか意味がわからなくなってしまっていたら
とまぁどうせわけわからない文章ですがなんにしろ
自分にしかわからないかもしれないような変な言葉使いを
するべきじゃありませんでした。
考えすぎで頭もなべも煙が出ています。
ものは落とすし、転ぶしぶつかるし・・・
それと、パウエル杞憂ですが、時事世論調査によれば
自衛隊派遣賛成者(撤退反対者)が、この状況で(!!)
45.4%もいるらしいですね。
私の愚かな杞憂であればどんなに良いかと祈らずにはおれませんが・・・