sabato, giugno 05, 2004

11歳の

長崎佐世保の事件を、悲しく思っています。

今回に限らず、報道を観ていると
しつこいまでに繰り返される
「明るくて成績も良い礼儀正しい普通の子」
という形容を聞いていると(更にそこに
読書好きの、なんていうものまで加わると)
今、小学生をやるのも大変だな、
と思わずにはいられません。
まるで、そういう子は人を殺すかもしれないタイプだ、
と受け取られかねません。
良い子だろうとやんちゃだろうと、
成績が良かろうとヤンキーだろうと
内気だろうとリーダータイプだろうと、
人を殺してはいけないんですけどね。
問題は、人を殺してはいけないと思えるだけの何かを
加害者となってしまった子供たちが、
与えられなかった悲劇だと思います。

こんな時、ふと、高遠さんを思い出してしまう。
彼女はイラクの子供たちに、
どうやってそれを与えたのだろう・・・

11年間、生きてきた中で
「人の命を奪うなんてできない」という思いよりも、
それを「きれいごと」と考える考え方が、
受け入れられてしまった事を
寂しく思います。

正直、
イラクでは、人質の命が危機に瀕している時に
開放条件を”受け入れる理由は無い”
と躊躇無く言い切る政府や
ジャーナリストが銃撃されれば
「だからイラクには行かないでくださいと言ってるのに」
とのたまう首相が”えらい人”な世の中で
いくら教育現場でだけ「命の大切さを教える教育」などという
薄ら甘い添加物を加えたところで、ちゃんちゃらおかしい
かもしれないと思います。
自分が生きるには、
憎しみを感じる相手を殺す除去するしかない
という考えは、間違いなく稚拙で愚かなものですが
世界の中で大きな権力を持つ人が、
ちょうど同じ考え方をしていて
何百人もの人を殺しながら、それを正当化しています。
私達の国でも、
そこに大きな負担をもってその考えを支持しています。
そればかりかアメリカ大使館の前で、
人を殺すイラク戦争に反対するために
座り込みをしていた女性が、
職場に連行しに来た警察から事情聴取を受けたり
家宅捜査を受け下着の入っている引き出しまで
引っ掻き回されたりしているそうです。
配偶者に対する本物そっくりの
にせの指名手配書が近所中に貼られたりもしたそうです。
そんな社会のなかで
どうやって子供たちに、
命の大切さなどと説けるだろうと思わずにはいられない。
子供は学校と家庭だけで育っているわけではなく
やはりテレビも見るし雑誌も読むし
情報は絶え間なく入るし
見知らぬ人とすれ違うし買い物はするし・・・
子供といえど、社会の中で生きている以上、
その責任は何かひとつのものであるはずがないと思うのです。
根本的に問題を解決するには、
大人である私たちひとりひとりが
「お前のかわりなんか、いくらでもいるんだ」
と罵倒される歯車ではなく
尊厳ある人間に戻るしかないと思います。
しかし、そう簡単に世界は変わらないだろうし、
そんな悠長なことを言っていたら
その間に同じような事件は続々と続き、犠牲者も増えてしまいます。
今、とりあえずに応急処置としてできるのは
こんなひどい世の中でも
自分で、時間をかけて
”何故人を殺してはいけないのか”という答えをみつけ
どんな殺意を抱えても、それを実行しない殺さない道を選べる
その選択の方向への確固とした支えを得られるまでは
せめて、そこまで子供が追い詰められないように、
最後の手段(殺すとか殺されるとか)
の一歩手前の逃げ道を用意する事しかないと思います。
大人が転職するように
子供が本人の意思だけで、
だめだっと思ったら学校を変えることができる自由とか。
殺意や憎しみも、相手の顔を見ない場所に生活することで
薄れることもあります。

インターネットやメールに犯罪の理由探すのは
どこかおかしいと思います。
こういう時、大人は自分たちのわからない世界に
責任を押し付けてしまいがちですが
それで、子供たちの、内心の自由を侵し、通信の秘密を侵し
徹底的に束縛すれば、類似する事件はますます増える一方でしょう。
チャットを人が見ている所でやるなんて・・・
悪い冗談でしょって感じです。
それを言う人達は、若い頃、人の目の前で、
大人にその内容を全て監視されながら
手紙や日記を書いてきたのでしょうか?
若気の至りの、稚拙で生々しい毒づきや恋文も?
こんな時晒される、事件当事者たちのホームページの文章、
などというのを目にしてしまうと、このデリカシーのなさに
こういう、人の痛みを思いやれない大人の中で、人を思いやる
その痛みや悲しみや苦しみを思いやる気持ちを育むのは
さぞかし難しいだろうと感じます。
例え、どんな状況であれ、
それは育まれなければいけないのですが。

勉強と人間関係をうまくこなすために
やらなければならないことばかりあって、
大事なことを考える時間がなくて
本当に大切な事の書いてある本にも出会えず、
切羽詰った時相談できて
大事な事を言ってくれたとき、
それを素直に受け入れられるような信頼できる大人にも出会えず
たった11歳で、人を殺してしまった加害者が
これからの一生を、その罪を背負って生きていかなければならないことを思うと
涙を禁じ得ません。