関連性
10万人の人を殺害する戦争を
さらっと支持する総理大臣が、
何の大きな動きも無く、職を続けることのできる国ですから
人の命を奪う事の罪ということが、
よくわからなくなっているんじゃないですか?
同国民である、自衛隊の隊員が、
戦争という暴力的な強制によって
殺されるかもしれない、殺すかもしれない
その大事な決断のときに
イラクの情勢をまったく無視できる国ですから
殺すという事の意味が
わからなくなっちゃっているんじゃないですか?
殺されるかもしれないという
追い詰められた状態を持っていたという
その証言には、何の意味も汲み取らない
こうやって事件が起きたり
起きなくても、
つついて、攻め立てたときに
自らに痛手をこうむるリスクの少ない
つまり弱い部分を持った
自分より弱いとみなせる立場をもった存在を
徹底的に攻撃するような、それが、正当化されまかりとおるような
こういう社会の共有感覚が
力量的に殺すことが可能な身体能力と
希薄で、本来なら動機となりえないような程度の理由でも、
とにかくなにか目的があったときは
殺してもいい、という愚かな思い違いも
案外浸透させているのかもしれません。
本来は、唯一となってでも味方となりたいだろう親や祖父である一番親身な存在に
子供や孫から「殺されるかもしれない」と思われるほどまでに、子供や孫を追い詰めさせ
否定し圧迫し、身内のその存在を悩むように
そうさせたのは、
社会全体の、”大事なのは経済的生産能力だ”という価値観かもしれません。
家庭とか親とか、本人の根性に責任を求めれば
そりゃ、自分たちには関係ないもの、痛くないですもんね。社会としては。
企業優先、強いもの勝ちでよしな、一般世論としては。
でも、それによって、強いものは存続し弱いものは消えていく事が
正当化されていて、
弱いもんに自分の方がいつなるかわからないのに。
働かないでも、学校に通わないでも生きていけるからそうしているとは
限らないかもしれませんよ。
生きていけなくて自殺している人も、充分にいるかもしれませんよ。
それでも、できないんでしょう。
それが、甘えているだけと切り捨てるなら
いつか自分が弱い立場になったときも
どんなことであれ
自業自得、自己責任と斬り捨てられると思いますよ。
だけど、世の中の大概の人は
甘えている、恵まれすぎている
根性がなってないと、
自分がそれによってなんの迷惑をこうむったわけでなくても
この人はだめな人間だ、人間として
死んでいい、死ねば、
とみなしているんですよ。
弱いものは負けな時代ですから。
そんなことは無いと思うなら
何故、ホームレスになって死ぬ人が、存在するんでしょう?
イラクで10人の民間人が殺害された模様、というニュースを伝えるとき
伝える側は、ちゃんとショックをうけているでしょうか?
その事の持つ、本来の重さに匹敵するだけの。
先日の奈良の子供に対する残虐な犯行の詳細を
読むことができなくなるような人を
私はテレビの中にひとりもみませんでしたが、
私自身は、どうしても見続けることができませんでした。
絶対、平静に読んだりできない。
仕事でも。
仕事だからと割り切れるなら
本人に、○○だからという理由が与われば
それでわりきってしまえた犯行者の気持ちが
理解できるのではないでしょうか?
できない人よりかは。
もう、十数年前になりますから
今、そんな事を言うものなのかどうかはわかりませんが、
私が小学生とか中学生だった頃
子供に対して
いわゆる心理カウンセラーなる人々は、
「親を殺す夢を見なさい」と促していました。
「そういう夢を見れば、親から心理的に自立した証拠なんだけど」と
主張していました。
親を殺すような夢を見れない人は自立できないと。
そんな自立しなくて結構だね。
夢であろうとなんであろうと
私だったら、人を殺す事だけはしたくありません。
その強い思いというのは
本来、人間同士が共存する為に
絶対必要なんじゃないですか?
どんなことがあっても、殺すことを意図してはいけない。選んではいけない。
間接的であろうと、鉄アレイであろうと
理由があろうと無かろうと。
たとえ、自分がどんなに損だったとしても、
わざわざ墓穴を掘るようなことかもしれなくても、
それでも、その、殺すという選択肢を選ばないために
最後の最後まで
あらゆる努力をするのが、人間には一番大事なんじゃないですか?
とくに、大人には。
自衛隊が、イラクに駐留する事は
アメリカ政府が、さまざまな手段を使って
武器を売ったりその他経済的な利益を得るという目的の為に
人を殺している事の支持になる、応援になる、共犯になる
と知りながら
なおその政府方針を支持し続けるような神経が
正しいとまかりとおり、
死んでしまうかもしれない人が死なない為に、
あらゆることをしようと決意し行動した人が
「税金を使って国民に迷惑をかけた、自己責任に欠けた人」
と評価されるような
そういうのって、
関係ないんですかね?
この命軽視の状況と。
香田さんの殺害されている映像が
中学生の間で、携帯で見れる画像として流布し
それを見たショックで、なんらかの症状を示すような
”弱い”子供が、だーれもいなかった事実は
なんにもかんけいないですかね?
日本の支援団体からの支援金が
あのファルージャからの避難民に、届いているそうです。
すごくないですか?
ひさびさに聞いた本当の明るいニュースです。微光ですが。
こういう事は、注目されないなら
そりゃ、命も軽視されるでしょう。
私は注目します。
さらっと支持する総理大臣が、
何の大きな動きも無く、職を続けることのできる国ですから
人の命を奪う事の罪ということが、
よくわからなくなっているんじゃないですか?
同国民である、自衛隊の隊員が、
戦争という暴力的な強制によって
殺されるかもしれない、殺すかもしれない
その大事な決断のときに
イラクの情勢をまったく無視できる国ですから
殺すという事の意味が
わからなくなっちゃっているんじゃないですか?
殺されるかもしれないという
追い詰められた状態を持っていたという
その証言には、何の意味も汲み取らない
こうやって事件が起きたり
起きなくても、
つついて、攻め立てたときに
自らに痛手をこうむるリスクの少ない
つまり弱い部分を持った
自分より弱いとみなせる立場をもった存在を
徹底的に攻撃するような、それが、正当化されまかりとおるような
こういう社会の共有感覚が
力量的に殺すことが可能な身体能力と
希薄で、本来なら動機となりえないような程度の理由でも、
とにかくなにか目的があったときは
殺してもいい、という愚かな思い違いも
案外浸透させているのかもしれません。
本来は、唯一となってでも味方となりたいだろう親や祖父である一番親身な存在に
子供や孫から「殺されるかもしれない」と思われるほどまでに、子供や孫を追い詰めさせ
否定し圧迫し、身内のその存在を悩むように
そうさせたのは、
社会全体の、”大事なのは経済的生産能力だ”という価値観かもしれません。
家庭とか親とか、本人の根性に責任を求めれば
そりゃ、自分たちには関係ないもの、痛くないですもんね。社会としては。
企業優先、強いもの勝ちでよしな、一般世論としては。
でも、それによって、強いものは存続し弱いものは消えていく事が
正当化されていて、
弱いもんに自分の方がいつなるかわからないのに。
働かないでも、学校に通わないでも生きていけるからそうしているとは
限らないかもしれませんよ。
生きていけなくて自殺している人も、充分にいるかもしれませんよ。
それでも、できないんでしょう。
それが、甘えているだけと切り捨てるなら
いつか自分が弱い立場になったときも
どんなことであれ
自業自得、自己責任と斬り捨てられると思いますよ。
だけど、世の中の大概の人は
甘えている、恵まれすぎている
根性がなってないと、
自分がそれによってなんの迷惑をこうむったわけでなくても
この人はだめな人間だ、人間として
死んでいい、死ねば、
とみなしているんですよ。
弱いものは負けな時代ですから。
そんなことは無いと思うなら
何故、ホームレスになって死ぬ人が、存在するんでしょう?
イラクで10人の民間人が殺害された模様、というニュースを伝えるとき
伝える側は、ちゃんとショックをうけているでしょうか?
その事の持つ、本来の重さに匹敵するだけの。
先日の奈良の子供に対する残虐な犯行の詳細を
読むことができなくなるような人を
私はテレビの中にひとりもみませんでしたが、
私自身は、どうしても見続けることができませんでした。
絶対、平静に読んだりできない。
仕事でも。
仕事だからと割り切れるなら
本人に、○○だからという理由が与われば
それでわりきってしまえた犯行者の気持ちが
理解できるのではないでしょうか?
できない人よりかは。
もう、十数年前になりますから
今、そんな事を言うものなのかどうかはわかりませんが、
私が小学生とか中学生だった頃
子供に対して
いわゆる心理カウンセラーなる人々は、
「親を殺す夢を見なさい」と促していました。
「そういう夢を見れば、親から心理的に自立した証拠なんだけど」と
主張していました。
親を殺すような夢を見れない人は自立できないと。
そんな自立しなくて結構だね。
夢であろうとなんであろうと
私だったら、人を殺す事だけはしたくありません。
その強い思いというのは
本来、人間同士が共存する為に
絶対必要なんじゃないですか?
どんなことがあっても、殺すことを意図してはいけない。選んではいけない。
間接的であろうと、鉄アレイであろうと
理由があろうと無かろうと。
たとえ、自分がどんなに損だったとしても、
わざわざ墓穴を掘るようなことかもしれなくても、
それでも、その、殺すという選択肢を選ばないために
最後の最後まで
あらゆる努力をするのが、人間には一番大事なんじゃないですか?
とくに、大人には。
自衛隊が、イラクに駐留する事は
アメリカ政府が、さまざまな手段を使って
武器を売ったりその他経済的な利益を得るという目的の為に
人を殺している事の支持になる、応援になる、共犯になる
と知りながら
なおその政府方針を支持し続けるような神経が
正しいとまかりとおり、
死んでしまうかもしれない人が死なない為に、
あらゆることをしようと決意し行動した人が
「税金を使って国民に迷惑をかけた、自己責任に欠けた人」
と評価されるような
そういうのって、
関係ないんですかね?
この命軽視の状況と。
香田さんの殺害されている映像が
中学生の間で、携帯で見れる画像として流布し
それを見たショックで、なんらかの症状を示すような
”弱い”子供が、だーれもいなかった事実は
なんにもかんけいないですかね?
日本の支援団体からの支援金が
あのファルージャからの避難民に、届いているそうです。
すごくないですか?
ひさびさに聞いた本当の明るいニュースです。微光ですが。
こういう事は、注目されないなら
そりゃ、命も軽視されるでしょう。
私は注目します。