mercoledì, gennaio 05, 2005

いーーー

イラクじゃなくて
この津波災害に支援を派遣したらいいのに
と思っていたら
津波方面支援に派遣、されたようですけど。
自衛隊って、かなり充分に人員があるのですねぇ。
どこに派遣してもまだ、
イラクに居る隊員の人々を回す必要性が出ない・・・のか?
どう思っているのか、私がわかりはしませんけれど
でも、イラクに居る隊員の中には
この、本当に感謝される、ちゃんと人道復興支援な作業の方に従事したい人が
いるんじゃないかと思うんですけれど。
どうどうとその被災地中のどこへでも、必要にあわせて駆けつけられるわけだし。
誰も敵意をもつ理由も無いのだから。

自然災害は
起きてしまいます。起きてしまったら
あとは余裕ある持てる者がどう協力し
どう人々が復興するか、みんな誰もがそれこそアメリカも北朝鮮も、
方向を同じく見て、人類として、協力し合おうとします。
かなり無条件に。
そして前見て進む方向は決まっています。
なんとかしよう、助けよう助かろう。
人命尊重です。誰がそれに反対します?

でも、戦争は、戦争の被害者は、戦争さえ止めれば
人が起こしている事ですから、起こさなければいいだけなのに
何故か、このとき、この事に対して方向を見るのは
なんだかごたごたしちゃうんですね。
何故ですかね?
できることなのに。
つまり人の力の及ぶ、やらなきゃいいんだよって
もうそれだけのことなのに、
何故ここで人命は尊重、第一優先じゃないんでしょうね?
しかも、それをひとりひとりが考えれば
なにかなるかもしれないのに、
そのきっかけは、
人の力の及ばない、どうしようもない部分のある自然災害よりも
あたわれにくいんでしょうー。うー。
そりゃ、アメリカが京都議定書に加わるなり
国が太陽発電設置料金を、全額負担してみせるなりすりゃあ
少しづつ、今起きている自然災害は、自然の怒りは収まるかもしれませんが
でもどんなにどうしても、やっぱり噴火も地震も津波も
人間がどれだけどんなにがんばっても、100%防ぐ事はできないと思うんですよ。
でも、戦争は、人類1人残らずが
とりあえず、戦争はしない、ことを前提に物事を考え進めば
起きないですむはずなんですよ。
しなきゃいいのだから。

で、その為には
本当は、いい加減、ひとりひとりが想像を働かしてほしいと思いますけど
それが欠如しちゃった以上
現実に戦争がどーれだけしてはいけないことか
おきてはいけないことが、どのように起きていて
それは何故か、自分たちは、その中でどの立場にいるか
再三、しつこく、今日、松井さんが何をしているか雅子さんが何をしているかよりもずっとしつこく、人の目に耳に届く媒体からの声として
訴え続けられる必要がーあるってば。

どらえもん募金て、イラクの人達の為にはやらないのでしょうか?
どらえもんはイラクの人が嫌いなんでしょうか?
(そういうことじゃないのはわかっていますけど
あえて書いてるわけですよ。)

ところで海外放浪の旅は
その土地その国の人々に対する、日本の中に居るだけでは持ってしまいがちな
偏見を払拭するのに、とても大きく働くと思います。
ひとりひとりが、ちいさい”国民”枠から、地球人、という星人枠に
自分の範囲を広げる事は、大事な事だと思います。
で、別に津波が起きなくても
いつどこで強盗にあったり、警察に捕まったりするかわかりませんから
そういう意味で言えば、家族の心配は今に限った事じゃないし
また地方から都会に出てきているような人に関しても
同じような事はいえると思います。
ほんとは。
テレビを観て心配になる、ということはあると思いますが
放浪している側は、テレビも新聞も読んでなかったりもするので。
あとで、無事だったとわかればうれしいし、それでいいので
便りが無いのは良い便りとも言います。

放浪している人が、連絡を取って家族の心配を拭ってくれればそれはいいですが
それをしない人も、それは、自由放浪である以上そういうものなので
もう、津波が起きてしまったその時期が放浪の時期だったらば
心配な故郷に残る人は、一生懸命旅する家族の無事を願い
また、その気持ちを、他の家族の人の気持ちに重ね
できることなら戦地の人にも重ね
他人事にならない、ということに繋げる、のがいいのではないかな、と
毎日、家族に連絡を取っていたら
親離れできてないとか言われかねないし、さぁ。

誰もが無事であるといい、そうでないなら、
やはりそれは誰であっても、誰かの悲しみです。