domenica, maggio 21, 2006

ラジカルアレルギー

極端な例で言えば・・
拡大解釈されると・・
と、言われていますが
現在共謀罪に関して鳴らされている警鐘の多くは
別に極端でも拡大解釈でもないと思う。
というよりも、
それが本命でしょ、思う。
建前的な本来の目的には、使えなさそうだもの。
「凶悪犯罪を考えている団体でございます」
と看板を立てて
凶悪犯罪を考える団体は
あまりない。
特定の相手に対して
「凶悪な犯罪を考えてる団体だけど、どうする」
と脅迫するみたいのんはあるかもしれないけど
それは、その時点で、脅迫という
現存する犯罪で、刑法の対象になるんじゃないかと
思うんだけど、どうなんですか?

共謀罪に対して
一番、極端なんじゃないかと思える
極論を、ワタクシが考えるなら
「意思を表示することが可能な生命体」
として存在するものは
すべて逮捕されちゃうんじゃないの?
↑こーゆーのを、極論っていうのっ。
実際には、少なくとも
腹減った、という意思を表示する猫などは
逮捕されないと思う。

実際には
逮捕したい人間は、逮捕できる法律
だと思う。
だって、自白による証言があれば逮捕できるって
そういうことでしょ。
時と場所が、これと決められていない以上
その集団に、所属していなかったとしても
それを証明するのって
面倒そう。
そんな人達と、そんなこと話していないということを
証明するっていうのも、大変だと思う。
誰かが、起きてもいないことについてうその証言をしたら
うそのメールのように、それがうそだって
簡単にわかるかな、わかんないんじゃないかな、わかるかな、

お上に嫌われるようなことは何もしない自信があるから
それで、この法律が成立することを肯認するのかもしれないのかなぁ?
でも、公害の被害者になるとか
人権を無視されるとか言うのは
本人の望むと望まぬとにかかわらず
おきてしまって被害にあうものだと思う。
そういう時に、たった一人で何かをするのは
ほぼ無理なんじゃないかと。
支援してくれる人が集まったり
弁護してくれる人を雇ったり
誰かに協力してもらって
自分が自分であることを守っていくと思う。
共謀罪は、人が集まったり
協力し合ったりすることに
今以上の、忌避感をもたらすのではなかろうか?
法に触れるような団体とそうじゃない団体とを区別するのは
少なくとも団体自身にはまかせてもらえないんじゃないか?
悪いののほうです、とはなかなか自称しないんじゃないか?
したら、悪くないののほうです、いうてるのに
いんや、君たちは悪いほうのです。
いわれたら、どうすればいいんか?
そういうのどうするんかとかごたごたしたくないなぁっていうのが
人が集まることを忌避させないか?

そのうえ、本来の防ぐことが目的である筈なところの
組織的犯罪は
つまり、人が集まるというだけで
集まる人にそれだけの腹を決めさせてしまうわけで
逆に、おきやすくなるんじゃないか?
と私は思う。
ぜんぜん極端じゃないと思う。
集団心理は暴走させると怖いものだからこそ
集団になっても、
法に触れることはしたくないねっていう
暗黙の空気が必要と思う。
なんらかの怒りを共有して集まった人々だったとしても
とうとう集まるとこまできちゃったら、
どうせつかまるかもしんないんだから
いっそいくとこまでいっちゃえ、と思わせる危険は
避けたほうが良いと思う。
つもりつもったむかむかによって
穏やかじゃない発言がされても、
空気に放たれたうえで
冗談に落ち着かせることで
大変なことになる前に
発散霧散蒸散消散できる事も
あると思う。

でも、決まっちゃうのかな。
決まっちゃうのかも。
決まっちゃうのかも、というこの言葉は
それこそ、極端に悲観的な事を言っているんだよ?
起きる可能性の高い、極端に悲観的な、現実。


http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/6319246f7ede31dca603817b7957222b
ぶらぼ。

それにしてもですね
再修正案の全文を探すのに結構てまどってしまった。
主観ですが、みつけにくかないですか?
現在審議中の
つまり、その辺の人々すべてが
守らなければあきませんよ、と、なるかどうか
審議中の、法律の文章が
決まった日には、守らなければいけなくなる当事者のうちらが
あんまりちゃっちゃと読んで考えることができないというのは
問題なんと違うんですか?
違うんですか?