sabato, luglio 31, 2004

夢なら覚めて

悪い夢を見ているようだな・・と
民主党代表の自衛隊海外武力行使容認発言たらいうものを
観ながら、思っています。
夢なら、早く覚めてほしい。

大切な人が、命を落とすと、とても悲しいです。
30日にもイラクで米軍と武装勢力が激しく交戦し、
16人の負傷者と9人の死亡者が出たそうです。
このニュースを知ってこのひとりずつの為に、
泣き叫ぶほどに悲しむことはなくても
このそれぞれのひとりひとりの死を、苦しんでいる人がいることを
頭に思い描かなくてはいけないと思います。
この暑さの中で、水も思うように使えず、暗闇に居ながら
化膿していく傷の痛みを、思い描かなくてはいけないと思います。
身体の自由を失い、
この先を考える気持ちを思い描かなくてはいけないと思います。
そのつらさをほんの少しでも、共有したなら
戦争を軽々しい、なにかの駆け引きのように扱えないはずです。
アメリカのお祭り騒ぎは、それを思うとあまりにも軽薄に過ぎるように見えます。
そして日本について、第二次大戦の悲劇を、繰り返すまいという、
その誓いの想いから産み出された憲法の精神を
何故、今の世の中がこんな簡単に遊べるのか、理解できない。
多分、私が書いても説得力がないのです。
でも、説得力はこの憲法の文章にあるでしょう?
これを軽くは読めないです。私にはできないです。
この九条の文章が、わかりにくいから全面的に変更しようと
民主党代表は言いましたが
私には不思議です。
この発言が平然とこの国の多くの人々に受け入れられたことが。
つまり、この発言があったのに、民主党が存続の危機に陥ることも無く
それどころか、更に、今回の武力行使容認発言まで出ても
まだ、とても普通に日常が流れているのが
まるで悪い夢の中のようです。

先日報道ステーションで放送された、コンクリート詰め殺人事件犯人の
再犯事件のレポートを観ていても
頭で考えれば
何故、給料未払いが起きたとき、暴力団に関わる人物と繋がるような人を
彼の母親が連れてくる前に、
最初の事件の刑に服した段階で
関わったはずの人々が、弁護士とか
保護観察官や保護司・・(っていうんですか。違うかも。なんかそういう人)
はいなかったんですか?そういう人が関わらなかったのか?
何故、何年も服役している間に、この人間の衝動的なところが
改善されることがなかったのか
といった疑問がありましたが、
それ以前に、まずわからないのが
この母親は、何故出所してきたこの人が
はしゃいでいるようだったときに
それに戦慄を覚えないで居られたのか。
また、
この当事者は、何故、あんな事件を起こした後で
人を殴れるのか
この人は悪夢にうなされたりしないのか。
人を殴れなくならないのか、私にはそのことを不思議に思い、怒りを覚えます。

中国でのサッカーの試合で
中国の人達が、日本の国歌が流れたとたん
空き缶を投げた気持ちがわかるような気がします。
投げてはいけませんけれど、
多分、私が、この事件に
感じてしまう怒りと同じ種類のものなのだと思います。

もしかしたら、反省文は、
後の彼の言ったという”刑事や司法を丸め込む為のテクニック”ではなく
本気だったと考えてみます。
出所した時は、まじめに生きようと思っていたのに
社会に受け入れられると感じることが無かった中で
唯一、人が彼の価値を認めるかのような反応を示したのが
”人を殺した人間である”ことだった為に、心に変化が起きたのか。
もしくは、たとえ本当にその反省の気持ちを示したのが
たかがテクニックゆえだったのだとしても、
もし、それを言い出すなんて事が到底できないような
環境に生活できたとしたら再犯はなかったのか。
更に本気だったかテクニックだったかは別として
できることなら、なにもかもの起きる前に
または、今からでも彼の更正を可能にする為には
彼の母親である人が、
彼が人を殺したり傷つけないでほしいと望むのは
自分が面倒に巻き込まれたくないからではなく
そんなことの為に、生み育てたのではないからだと
きちんと伝える事が大事だったのではないか、とか。
この母親という人も、
いい年してって問題じゃないだろうとか
父親が居ないせいって、これだけ時間を経てもまだそんな事を言うのかとか
勝手にいろいろ思ってしまいますけれど
今、頻発している事件のように
子供が泣いたからといって殺すことも無く
餓死するほど放置することも無く
一人で、彼の衣食住を確保し
育ててきた以上は、それなりの想いがあったはずです。
彼の為に彼の更正を願えるのは、この人だけでしょう?多分。
他の人は、こういう事件は二度とおきてほしくないから、それが理由で
この人に更正してほしいと願うわけでしょう。どうしても。

だけど出所して待っていたのが
たとえどんな環境だったとしても、どんな母だったとしても
これだけのひどい、
最悪の事件を起こした過去のある人間と社会が共存するには
社会としては、彼が罪を受け止めて更正して、二度と過ちを繰り返さない事を
確認したい、その必要があると思うのです。
司法は、この事件に関してそのように機能する役割を果たしきれなかった気がします。
この人にどんな反省文を提出させることができても、
どんな環境の中でも償いの為に生きようと思うのでなければ
生き続けられないくらいに、自分の罪を悔いる思いにはさせられなかったのだと思います。

これを私は日本にも重ねてしまうのです。
なるほど、現状においてきちんと過去の罪を受け止めないできたので
今、起きていることは起きているんだなとつくづく痛感しています。
日本人としての誇りを失わないためには
この流れは、止まってもらわないと困る。
憲法を、誇示してきた日本人の気持ちの方が
本当の日本としての心だと、信じられないのは嫌だ。
私には、何者にも愛国心を強制されず育ちましたが
戦争を越えたとき、今の憲法を掲げることで歩き出せたこの国が
自分が生まれたこの国が、そういう国であることが
とても好きです。
君が代を歌ったかどうかで、教師に処分や、研修を受けさせる
という事が、ありましたが、
愛国心ってそんなものではない。
多分、”君”の人達にとっても、”君が代”はいい加減うんざりで
穏やかな家族の団欒ができる生活ができる世を
望んでいるのではないかとさえ思います。
(伝統工芸の技術などが守られるために、ちょっとだけ変わった生活の人が
いるというのも、必要かなと思いますが、
今の状態は、気の毒で、確かにある意味とても国民の象徴的だと思います)
アジアの人達が、抵抗を感じる国歌は
もっと穏やかな歌に変えたらいいかもしれないとも思う。
愛国心は、愛国歌心でもなければ
教育によって強制的に教え込まれる
どんなひどい国になったとしても
その為に、殺されましょうという
そういう心でもないはずです。
自分の国が、善い国であってほしいと望み
そうなる為に、なにかしたいと思える心だと思います。

うちの今年92になった祖母が、何も言わず
毎年続けてきた募金があったことを最近母が知りました。
ペシャワールの会というのです。
アフガニスタンで、20年以上
井戸を掘り続け、救援活動を続けている日本人医師がいるのです。
本物の人道支援です。
自分の持ち家もなく裕福でもない一人暮らしを続けながら
微力ながらも、この活動を支援してきた祖母が
私の祖母なことを、手前味噌ですが私は誇りに思いました。
そして、この医師の存在を、本当にありがたく思います。

この活動が、アメリカ軍のせいで、今までに無い危機に直面しているそうです。
米軍の行う支援を、武装組織に関する情報とひきかえだと公言したりすることで
全ての人道支援が、その政治的な中立性を示すことがむつかしくなり
国境を越える医師団も撤退しました。
この米軍を、全面支持し、多額の支援金を渡したのは
どこの国ですか?
なんで、私達の国は何をやっているのですか?
もう、本当に嫌だ。