domenica, luglio 25, 2004

根に持っていること

以前こういったメール
をいくつか送信してたらば、
反応として、共通するものに
”パウエルさんは良い人だ”というものがありました。
パウエルさんが、良い人かどうかは
友達じゃないし、私は知らないです。

良い人の言った言葉でも
今までどのような立場にいた人の言葉でも
また、更に言えばどんなに立派な人が言った言葉でも
おかしかったら、おかしいと思うんですよ。

誰が言っても、正しいことは正しい。
正しいことをひとつ言ったからといって
その人の言うことが、全て正しいとは限らない。

間違ったことを繰り返す人が
ふと真実の言葉を口にしたとすれば
その真実は、真実です。
でも、だからといって、
それまでに侵してきた間違いが、
全て間違いではなかったことにはならない。

正直、草加煎餅に興味ないんです。
いや、本物の草加煎餅は興味あるんですけど。
そこにしか掲載されない必要な情報が出てると思えば
何色がどうこうじゃなく、購読するしね。
普通にモノトーンだよ。カラー面以外は。
疑問を感じることもないわけじゃないけど。
それは、どの新聞でも同じでしょ。

どんな宗教であれ主義であれ、
滅私奉公を強要しだしたり人を格付けしたり
個人を犠牲にするようであれば、その部分において
間違っていると、思います。
主義は、人間が共存する為のより良い方法を
考えているその一過程にすぎないし
良い部分を受け入れあうことも
考えても良いのじゃないかと思う。
全否定され頭から罵倒されれば、
否定された方も壁を高くして
耳も目も塞いでしまうかもしれないけれど
自分自身が拒絶されるわけではないと思えれば、
逆に、盲信、妄信や狂信をしていたものの
欠点が目に入るかもしれないです。

なのに、つい、
先ほどのメールでも、
あの後、あの終わりの方切り取った状態で
送るようになってしまいました。
つい、うっかり、摩擦が面倒で、話をあわせてしまいます。
そんな自分が、ものすごい嫌です。
なりたくなかったこずるい大人になっちまっただよ、と
タバコの一本も吸いたくなりますですよ。
煙草も高いから吸わないけどね。

最終的に望むものが同じ同士なら
こう、切羽詰っていないことは
棚の上に上げておいて
一人でも多くの者が手を結ぶのが大事でしょう。
まず、緊急事態をなんとかしなくちゃです。
迷うのは、そう言うことによって
何故か、その主張自体が
棚の上に上げたいような
ちいせえ問題の火種となってしまう、ということです。

.....sola esse volui
めんどくさいんだもん。