venerdì, gennaio 07, 2005

あがける限りあがこ

あいかわらず、こんなことしかできないけど。
私は棚の上に上がる。
私の事じゃなくて
でも、人ってどこまで強くならなくちゃいけないんだろう。
イラクの人達から届いた言葉を伝えている
blogやページを見ると
リバーベンドも。
新年を祝った。
イラクで。
そして、立て続けに起きた自然災害に心を痛めている。

でも、イラクの人は、イラクの人だからって、特に特別じゃないだろうな
と思うわけですよ。
なんとかがんばる人のほかに
絶対、限界、無理、の人が多く居るはずだって。
だって、自分だったらって
考えたらいいんだ。
自分だったら耐えられるか、考えたらいいんだ。
え、私だけですか?やわなのは?
そんなわけないでしょーー?そんなわけないよ。みんながじゃないにしても。
私は、私のような性格のイラクに生まれた人を思ったら特に
いらいらする。いらいらいらいらいらいらする。
早く、迷彩服でうろつくのやめて欲しい。
銃で威嚇したり、威嚇ですまないことしたりするのやめてほしい。
あたりかまわず壊さないで欲しい。
アメリカの人、とりあえず友達としてTシャツで来る様な
そういう関係にに戻れる日までは
今は、出てってよ、って思うさ。
日本の人も。武装している人はみんな。
なんのための武装だよってことだもの。
それで、どうしたってめちゃめちゃ悲しい。
だから、頭から離すことができない。
何にも知らない癖にでも。わかってなくても、お金も無くても。
それは、しようと思って努めているんじゃなくて
そうなっちゃうんだって。

はぁ、なんでこう強くなる事ばかり求められるのだー。
弱くたって、泣かないですむようにしてくれよー。
弱い人間もいるんだよー。い る の っ。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
我々も参加しない理由として、アメリカが押し付けた選挙項目がある。
それは、いかなる新政府が発足しても、
例え米軍がイラクで人権侵害を犯そうがそれを変える権利はなく、
新政府はその軍と治安と警察にかんする全ての権限を
アメリカの支配下に置かなければならないと定めているのだ。
http://peaceonyatch.way-nifty.com/peace_on_iraq/

12月23日 イラク聖職者協会のクバイシ師は、
そう言っていたのだそうです。

年末、多々ある報道総括特番で
もうどの番組だったかも、ごっちゃになってしまいましたが
いくつかの番組で
イラクの戦争に関して、日本はアメリカから渡される情報だけで
戦争の様子を判断したり伝えてしまった部分がある、という反省の言葉を
聞いたように思います。
反省したなら、改良されて欲しい。
現在の、選挙に対する抗議としての暴動、などといって伝えられるニュースで
この、アメリカの提示している条件をのむわけにはいかないから
だから、選挙の開催に反対している、という事を
どこか伝えましたっけか?聞き逃したでしょうか?

両方から、見なくてはいけないと
アルジャジーラの取材のレポートで
番組はそう考えたのだと思ってました。
自爆テロは、悲しくて良くない行為です。
でも、それしか他に方法がないと思わせるまでに
他の意志を表現する手段をイラクの人々から奪ってはいないのでしょうか?
そして勿論、選挙への協力を拒否した全てが
自爆テロをしているわけではないはずです。
家も街も人も壊されても、煮えたぎる思いをこらえているたくさんの人々が
いるはずです。
今の伝えられ方では
ただやみくもに、なんにでも腹を立て
わけがわからなくなっているように見えてしまいます。
それは本当でしょうか?

世界中、どこでもいろんな悲劇が起きています。
どれも重要です。
ただ、イラクの戦争に関して
私達は、現在加害者の立場に居ます。
そう思われる行動をしています。
この状況は特殊です。
そして、そんなことになるのは
日本という国に今まで無かった事、
国の姿勢が変わってしまおうとしている、そういう事件です。
何が起きているか、その国に住む人は
逐一つぶさに知っておく必要があるんじゃないでしょうか?
民主主義である以上、主権は国民にあります。
意志は国民のものとされます。
でも、知らなかったら、事柄に関して意志の持ちようがないじゃないですか。
避けてはいけないんじゃないでしょうか?
伝える側として。