lunedì, febbraio 21, 2005

めだまドア

http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html

livedoorのメディア買収問題について、江川昭子さんが書いていました。
これを読むと確かに多少、イメージが変わる。
かなり揺れ動きますですね。
最初っから、別に特にlivedoorを応援しているわけじゃないし。
これが、社長さんの意見であれば、なんとなくものすごく賛成はしない。
でも、だからって、政治的な関与が入る問題ではないと
まだ、思う。
売っているものは、株であって経営権であって
ジャーナリストの良心でもないし
伝える側が作った内容に、関与する権利でもない。
売っているものは、誰が買っていいと思うし
経営権、運営権を手にしても、
伝えられる報道の内容に、関与するべきじゃないと思う。
個人の持つ考え方で、真実を歪曲させたりはしてはいけないと思う。

こちら側からは全くアプローチの方法が無い
送り手の良心に頼るしかない、
知りたい事を伝えてもらう為の、効果を期待できる方法がない
経営する側には、その損得によって
記事の内容について干渉する権限がある事が当たり前な
その現在の状況が、・・・至上かなぁ。

日本人は、絶対政治に興味を持たないか?
もしくは、
日本人には、自分の望む方法で伝えてくれるメディアを選ぶ能力は
絶対無いのか?
livedoorの媒体を望まない人は
違うものを選ぶ自由があって当たり前なのだから
livedoorの機械のような冷徹な無感情のメディアも
そのひとつとして、あっても構わないかもしれない。
それと、それではないものとを選ぶのは、こっち。

報道の使命、なんていうのは思い上がり
という、思い上がった
    (ように私には思える、
     と書く私もいい加減思い上がって居るようなんだろうとも思えば、
     うんざりする。
     思い上がった、っていうのは、実にうんざりする表現だな。)
考え方を、記事を書く記者に、また記事の内容に
押し付けるのであれば、大いに問題です。
でも、もし、本気でどっちでもいいと思っていて、
全くの自由の中に放置するというのであれば
本人が、そう考えていたとしても
結果的には、報道の使命、を信じている記者が
その使命を果たしやすくなるんじゃないだろうか?
わかんないけど。
そういう使命を感じている人は、
特に選んで潰させてもらいます、という経営者よりは。
実質的に、使命が果たせるなら
経営者がどういう考えでも構わなくなくなくなくなくなくない?

結論としては、結局
やっぱり、どっちでもいいやぁ、という事でした。
だって、今のフジテレビ、別に特に変わって欲しくないと思えないもの。
標的がフジテレビとニッポン放送である、今のところなら
ほんと、どっちでもいい。
勝手にすれ。

それにしては、随分長く書きました。おばか。