sabato, marzo 12, 2005

よいとこどり

私自身が、経過を見守っているうちに
感情移入しすぎて、時々、見失ってしまう事ですが、
正直、完全に見失っていましたが
今回のイタリア人記者の方の一連の事件について、
関心を持つ事の意味の一つに、
このような事件が起きたとき、人間の社会において
どのような反応が起きるものか
という、ひとつの例を知る、という事があると思います。
「日本には日本のやり方考え方があるのだ!」と、
考える事をせずに、日本の独自性にこだわっているままでは
良い方を選ぶ、という事ができません。
他にある別の方法を見る事によって、自分達のやり方を客観的に見直して
より良い、自分達の方法を育てるのは大事な事だと思います。
日本のやり方は、「自己責任」と、「礼儀や態度に対する批判」でした。
イタリアのやり方は、「50万人のデモ」と、「救出の為の最大限の努力」
「アメリカ政府、軍に対する強い抗議」です。
どちらが、良いか、という事です。
日本だって、より良い方法を選んでいいのです。

イラクに行った人が人質になった場合の、日本の政府や
一般の多数の人々の反応をもう一度思い出し、
それが、国として、人として、良いものだったのかどうか、
考えてみる必要があると思います。
今回のSgrenaさん達のような事件が、もし、
舞台を日本にして起きたら、どのような事になったか、
考えてみる必要があります。

日本国内の事であっても、例えば、米軍の基地のある場所で、
日本人が、米軍関係者から被害を受けたとき、
日本の政府や、日本の多数の人々は
その事を、どう考えて、どう対処するでしょうか?
基地に関してついでに書けば、事件だけではなく
「思いやり予算」の名目で、
アメリカの人たちに快適な生活の資金を提供している一方
生活に困っているような人、高齢者や病気の人
ホームレスとなってしまった人たちに対してや
地震や大雪などの災害の被害者となった日本の人たちが、
不自由な生活を強いられて居る事に対して
どのような「思いやり」がなされているか、
そういう政府に対して、他の日本人の有権者達が、どのような態度に出ているか。

イタリア政府は、Sgrenaさんに対して責任を持っている事を、
今、示しています。
また、彼女を救う為に米軍の銃撃を受けて亡くなった
Calipariさんに対しても
責任を持って、事件の解明を果たそうとしています。
間違っても、その死への責任を
人質となった記者に向けるようなことはしないと思います。
日本なら、しそうです。
イタリアの政府が推し進めてしまった、アメリカ政府への追随、
そして、支持してしまった戦争によって、何がその戦地で起きているか
その政府とは異なる考え方を持って取材し、
その現実を、自国の人々に誠実に報道する、自分の国のジャーナリストに対して
彼等の安全と生命に、イタリア政府も、
また、たくさんのイタリア人も責任を持っているという事です。

どうなるのかわかりませんけれど、
イラクの地を、それでも世界中のジャーナリストは、取材し続けると思います。
戦闘地域で起きている事を
世界中の人が、そこに集まって、監視する事はできません。
でも、何が起きているかを知る事は、それが正しい事か続けてよいことか、
そして、それぞれが何をするべきかどう考えるべきか判断する為に必要です。
日本も、この戦争に対して中立である事をやめ、片側についてしまった以上
その結果を、きちんと見届けなくてはいけないはずです。
なのに、現在日本人のジャーナリストがイラクで取材をするという事は
完全に孤独で、本当に、1人っきりの、
支えの何も無い仕事になってしまったのではないかと思います。
それに比べると、イタリアやフランス等の国籍を持つジャーナリストは
日本の人よりも、少しだけ多くの心強さを持って
取材ができるのではないでしょうか?
それが、文化的な国の在り方というものだと思います。

国内の、反対もおしきり、
このように米政府、米軍に恩を売っておく事により
いざという時に、アメリカが日本を守ってくれる筈、
という説を頻繁に見たり聞いたりするのですが
多分、アメリカは守ってくれないと思います。
狂牛病の全頭検査をしていない牛の輸入を、日本が拒み続けている事に関して
アメリカ国内で、経済制裁を求める声があがったそうです。
病気のリスクを抱えた食品の輸出入に関してだけでも
これだけドライなのです。日本人がそれで病気になったとしても
「しょうがない」のです。
何かあったときは、日本は、足場や衝撃吸収剤のように
利用されるかもしれませんけれど
米軍に助けてもらえるなんて事は、ありえないとおもいます。

だから、何かあったときを想定するのではなくて、
何かが起きないように、政府というものは中立で公正な立場をとって、
ひとつひとつの国との外交に、努力するべきなのだし、
民間レベルでの国際交流も、友好だけじゃなくて
協力して仕事をすることや、地域の環境の、人間が汚染しているものに対する
対処の方法を開発したり、国境を越えた繋がりを深めていく必要があるのだと思います。
ニュースでやたら、国の間の摩擦、問題を取りざたされる国々の人々との繋がりが
実際、私達の生活にどれだけかけがえの無いものになっているかわかりません。
何かあったとき、を想定して武力による防衛を進めたり、
ひとりひとり個人の自由を束縛し従順にしたてあげる事に熱心になるのではなくて
自国の平和を保つ為には、何も起きないように
「そんなこと言われても、今更敵とは思えない」という関係を
他の国の人々との間に築く事が大事なのだと思います。

イタリア政府が、今、アメリカ政府に対して示している態度を、
この事件の経過を、見守るという事は
自分の国が、他の国々と、どのように関わるべきかを考えるのに
大切な一要素をもたらしてくれると思います。