lunedì, luglio 25, 2005

わからない、理由

判断をするための材料として
知識は有用なものだと思う。
多くの事についての深い知識は
あるに越した事は無いと思う。
知る機会や方法がある限り
勉強はしておくに越した事はないと思う。
基礎知識や最低限の知識、っていうものも、あるだろうとは
思うけれども
「戦争はいや。戦争にならないようにしたい」
という意思表示をする為に
やっぱりまずなによりも不可欠なのは、
知識じゃなくてまず自分の気持ちだと思う。
知らない人間にも、資格はあると思う。

核物質の人体に与える影響を科学的に分析したデータに精通し
兵器の環境や人間を含めたあらゆるもの対する破壊性を
理論的に実証でき
世界中の政治的状況について、歴史から現在の権力構成まで
全てを完全に把握していて
いくつもの、系統化された(じゅっぱひとからげられた)思想カテゴリーを把握していて
どの人がどのような思想に対するどのような内容の著作をなし
それが、誰によってどうやって発展したかも、全て頭に入っていて
世界の宗教分布と、それぞれの宗教の関係を完全に把握し
ひとつひとつの宗教について、宗派や細かい聖典の解釈に対する理解があり
それぞれの宗教が、どのような文化にどのような影響を与えているか
フルネームでどのような権力者が、どの宗教に関与しているか把握していて
なおかつ、国際経済や、企業の内部事情、世界の各国の政府とのつながりについても
情報を得ていて、
それぞれの国の権力者の一人一人がどのような考え方を持っているか
その派閥や力関係を把握し
なおかつ、早寝早起きをし、冷蔵庫は詰めすぎず
買い物籠を持ち歩き、添加物情報に敏感で
環境破壊物質についても良く知っていて
電気のスイッチはこまめに切り、
タバコは吸わずお酒も飲まず毎日仕事に励み
高学歴で標準的体格で健康診断にも問題はなく
世界にどのような病気があるのか最新情報を知っていて、どのような症例があり
どのような治療法が開発されているのか、そのために何が必要なのか知っていて
どのような法律がありその判例はどのようなものがあったかも知っている
・・・・ああめんどくさい。

つまり、そういう人でなければ
平和であって欲しい、戦争はしないで欲しい、自由でありたい
と言ってはいけないのであれば
心の中で、それを願っている人がいくらたくさん居たとしても
それを意思表示できる人は
1人も居なくなると思う。

例えば、うまれてこのかた
たったひとつの病室から、出る事ができない状況の人も
まぶたの筋肉しか動かせない状況の人であっても
一年中休日もなく働き続けなければいけない人も
字を読む事ができない人も
住む所のない人も
それぞれの生きている中で得られた知識、記憶、情報から
考えて判断する権利が、あると思う。
考えて意思表示をする権利があると思う。
責任もあると思う。
一人一人の全てが、それぞれの個性が尊重される為には
この世の中に、同じ人は絶対に居ないのだから
1人分のその個性から考えた事を、示す為に
全ての人が、意思表示をする必要があると思う。

信じている宗教や、人種、性別、気質、体質、国籍、趣向
そういうものの区分けの一部に属しているからといって
それだけを理由に、逮捕されたり殺されたり
優劣を評価されたり、束縛されたり監視されたり
死んでも仕方ないとみなされたり、地域ごと燃やされたりする事を
許してはいけないと思う。
他人のこととは限らない
自分が選定をするなら
いつ、自分が選定される側になるか、わからないよ。
いつ、自分の大切な人が、選定され劣等品と格付けされるかわからないよ。
格をつけるのも、不完全な人間である以上
選定は、主観的な独断でしかない以上
何が、どっちが、上になるか下になるかは、ただの好みでしかない。
理が通るはずがないのだから
はじかれる対象になる事を避ける方法もない。
選別自体を否定しない限り。
選別され処理される事を、許さない以外に。
それが大事なんだと思う。

たった一つの事、たったひとつの宗教についてだって
キリスト教にしろイスラム教にしろユダヤ教にしろ仏教にしろ神道にしろetc
敬虔な信者であっても、その教義を全て理解している人は稀だと思う。
何故、そんなにわかりにくいのか
何故、そんなわかりにくい事の知識を要求されるのかについても
考えてみる価値はあると思う。

二回目のロンドンでの爆発で
爆発による死者は1人も居なかったようだけれど
警察によって5発も銃弾を受けて射殺された人が1人居た。
「黒人かアジア人の、リュックサックを背負った男性(テレビの速報で言っていた)」
だったから、容疑者とみなされて、連行されることを拒否したら射殺された。
黒人かアジア人、って言ったらば
除外されるのは、白人だけだよ。
びっくりした。まだ、そうなんだなやっぱりと思って。
主導権をもっている方から見て、私達はどこに配分されているか。
”仲間”じゃない。せいぜい、道具だ。
だから、私達に与えられる情報は
まず、ロンドンでの爆発
次に、どこかの家庭のごたごた、離婚
それから、88人の犠牲者の出たリゾート地で
一番知らされないのは、多分、正確な人数さえ把握されていない大量殺戮。
直接手が下されたか、内部から自滅するようしかけられているかは
明らかになる事もない。

むつかしいからわからない、のではなくて
むつかしくてわからない、と、思えるようにされているのではないか?もしかして。
難しいから、多くの人が理解できないのではなくて
理解されたくないから、難しくみえるような煙がほどこされているのではないか?

失った事に気が付かない人から、奪うのはきっと楽なのではないかと思う。
せめて、何十年何百年経ってから、ばれるようにしたがると思う。

で、そのとおりになっている。