domenica, luglio 17, 2005

ずれてます

言葉は数を数える為だけに使われるわけではない。

都知事がフランス語を侮辱したとして提訴された事件についての
テレビでの取り扱われ方を見ていて、げんなりした。

問題の焦点がずれてるよ。
他国の言語を、国際語として失格しているとか
劣っているとか優れているとか、一国の首都の知事が、
公の場で発言することがおかしいんだよ。
この、都知事の発言を
フランス語を、日本語に置き換えて
数の数え方は、異なっているから
例えば、日本語は文字が何種類もあって難しいとか
なにかそういう事で置き換えて
考えてみて・・・わからないか?

他国を民族単位で蔑視したり
言語に優劣をつける発言が、公の立場の人によってなされる事を
喜んで見ていたり、そういう人を知事として選ぶような
そういうような人々が多数派として住んでいる国であると
いう事になっちゃったんだよ。

だいたい、国際語として失格といわれるのもむべなるかな
って、
国際語として、適格だから国際語になっているとしたら
日本語は国際語として失格だから
劣った言語とみなされているから
国際語として使われていないということに
なってしまうではないか。
日本語以外でも
フランス語だけじゃなくて
世界中のあらゆる言語を
侮辱した事になるよ。
英語は、”国際語として適した、多言語よりも優れた、資格のある言語”だから
国際語として使われているのか?

自分が、生まれながらに使っている言語に愛着があり
”””自分にとって”””世界一美しかったり、大好きだと思ったときに
他人にとってもまた
それぞれが生まれながらに使っている言葉が
一番好きであるだろうと思う事ができて、はじめて
自分の母国語を愛するという気持ちを知っていると言えるのではないか?

他国の文化や、他国の言語や
他国の人々のことを
優劣をつけたり、蔑視したりするような人は
知事には適さないと思う。
他国に対しての文化や民族性、価値観や共通意識を
自分のものと違うからといって
受け入れられないという事は
国籍に関わらず、他者という存在に対しての
尊重ができないという事になる。

そういう人が、首都の知事に選ばれるようだから
この国の方針は
難民も受け入れられないし
社会的弱者に対しての福祉も
充実しないのだと思う。
大国の他国に対する侵略も、支持してしまうし
戦争についての責任も、いつまでも直視できないのもむべなるかな。

うちの味噌は世界一美味しい、と言っている分には
たいした事にはならないが
隣の何とかさんの作る味噌は、甘すぎてまずい
と宣伝して歩いたら
多少、ごたつく。
そういう感覚、どこで失くしたの。


で、そういう問題のどこが笑えたのかというと
結局はこれって、例えば夏休みの宿題中に
ばてた子供の言う愚痴とかわらない。
九九を覚えながら
こんなもん、電卓使えばいいんだよ
って言う、みたいな。
rの発音は、こみあげてくるものがある
なんてことは、つい言ってしまったりするものだけど
それを、公の人が公の場所で正論であるかのように主張しちゃだめでしょうよ。