domenica, agosto 08, 2004

59年目の・・・

小学校の時の、学級文庫に
「はだしのゲン」がありました。
その頃、うちでは漫画禁止だった為というのもあり
(勿論、そんなもんいくらでも網の目をくぐりましたが、
しかし漫画が読める機会は絶対逃すものではありませんでした。)
熱心に読んだ覚えがあります。
6日ニュース番組の特集を観て、その小学生当時
どうしても正視する事ができず、
そのくせ頭から離れることの無かった
というか、今も離れない、原爆投下直後の様子の絵が
正視できなかったにも関わらず、
記憶にとても正確に残っていたことを知りました。
それは、中沢さんの記憶の極々小さなかけらが
私の脳裏にも、飛んできて埋まったことを表していると思います。
やはりこの頃に観た「人間を返せ」という映画や、
「太陽の子」や「猫は生きている」などの戦争を扱った本の内容も、
刻みつく、という表現がまさに当てはまる感じで
私に残っています。
今思えば、子供なりに私もそれなりによう頑張って
読んだり観たりしたものだと思いますが、
それも、この本当の苦痛の経験から発せられる声々が
どうしても私を離させないだけのものだったからだろうと思います。
もし、今、この世の中の状況を見て見ぬふりができないことが
(だからといって、自分のやっていることが
たいした何かになっているとはあまり思えませんが、でも、)
黙っているよりはましなのだとすれば
例え、本当の証言者の方々の苦しみに、
比較するものではないにしても、
子供の頃のうなされたりした時期も、
無駄ではなかった事になるのだろうと思えました。
けれども、同時に思うのは、
それはやっぱりあくまで二次的な継承なのであり、
本当の本当に見たもの受けたもの経験したものとは違うのであって
この本物の証言は、本来であればもっと
最大限に活用され、地球上の全ての人のもとに、
日本の国単位の最大限の可能性をもって
届けられなければいけないと
いうことです。同じ日本の人々の間でさえ、
よく知らない人が居るという現状は
本来あってはならない悲しいことです。
証言者の方々の本当の痛みの経験に
少しでも報いえる事があるとすれば
それは、「世界から核はなくなりました。」という知らせ。
「絶対に悲劇は繰り返されません」という確実な証しか
ないのだろうなぁ、と思います。
市民団体単位での活動や人々の努力をもってしても
アメリカでの世論調査では、
原爆はしかたなかったという意見が
多くを占めている実情は、
第二次大戦後もなんらたゆむことなく続く、
朝鮮戦争やベトナム戦争湾岸戦争そしてこのイラク戦争を、
説明するものであるように思います。
この8月6日に、よりによってこの日に、
イラクの停戦合意が、事実上の崩壊をし
300人もしくは400人のイラク人が、2日間で
米軍との戦闘により死亡しました。
アメリカ政府にとって、
この日がいかに意味を持っていないかがよくわかります。

えぐれ痛む傷を負わされているにも関わらず
加害者に対してその痛みがどんなにひどく、
そして絶対に繰り返されてはならないものであるか
を主張するのではなく、
ただただ卑屈な従順を示している事が、
アメリカに、暴力による制裁を与え戦争を終結させた事を
正義であった悪くなかったと思わせることに
繋がっているのかも知れません。
そういう方法を、”正義”で、その犠牲はしかたのないもので
悪い事とは限らないと思わせているのかもしれません。
怒りをぶつけるのではなく、受けた痛みを知っている経験国として
もう二度と他に同じ被害者を生んではいけない事なのだと、
日本は、それを主張すべき役割も、担っていると思います。
日本が憲法の前文や九条を、それがたとえ、
現在のよその多くの国とやり方とは違っていても
この崇高なる理想をまず率先して掲げるべきなのは、
この役割もあっての事なのではないでしょうか?
戦争中に自らが加害者となって
他国の人々の尊厳を蹂躙した罪と、
自国民を戦争というものの狂気によってもたらされる罪の
痛ましい犠牲者にした悲劇を
二度と繰り返さない為の誓いは、
時代が変わったことを理由に破棄できるものでしょうか?

ブッシュ大統領の
いくつかの発言を並べたサイトなどをみていて
改めて深く思うのは、この人を責めても問題は
たいして解決はされないだろうということです。
この人が、戦争やそれにまつわることを考えたようには思えません。
それは、この人には無理な気がします。
勿論この立場にあった以上
責任が重大であることも、変わらず確かではありますが。
これは日本においても言える事だと思います。
打倒ブッシュ政権、とか打倒小泉政権ととなえるのでは、
何も解決しないのです。
問題は、そのやり方、考え方、方針、主張です。
参議院選挙でも、憲法尊重を掲げた野党が、
具体的なこの問題点の指摘を最前面に出して訴えたなら、
ここまで民主党に票を持っていかれることもなかったはずなのです。
民主党と自民党(連立与党)に、
大事な点においての考え方の大きな違いはないからです。
戦争に反対する立場に居る党や候補者同士が、
それぞれの細かいこだわりには目をつぶり
ひとつでも多くの議席を、
憲法を大事にする、戦争をしない事のために、
確保し増やす工夫をしようと思えば、
それはできたはずなんです。