lunedì, agosto 09, 2004

同じ星生まれ

報道ステーションのサッカー観衆レポートが面白かったです。
レポーターの無事な姿を観た後ですから、
安心してレポート観れたし内容が、めちゃめちゃ微笑ましかったです。
そうだよなぁ。って。普通の人って、こうだと思う。
こういうごたごたが起きると日本人側も、顔が引きつった半笑いで
うまく喜んだり心行くまで楽しめないし、
中国人側も、あのような感情が私ら全員の持つものじゃないですよっていう
微妙な遠慮みたいな、照れくさそうというか、
お互いが、おそるおそるに相手を刺激したり傷つけまいとしている。
本当は、こういう気持ちの基になっているものによって、
一緒に言葉も通じない同士がひゃあひゃあ言って楽しめるべきで、
それが、国際的なスポーツ大会の意義なんだと思うんですけどねぇ。
よくわかりませんが。
普通の中国の人が、このような状況の中で日本人に友好感情を示すのは
結構勇気がいったかもしれないと思う。
この気持ちに、感謝したい。

中国が、反日教育をしているとしても、
教育だけじゃ、もう、国民感情は操作できない時代だと思う。思いたい。
私達は、国というものから与えられる情報と知識だけで
好きに操られたりしない、と思いたい。
正直、歴史は本当に難しいし、日中間だけでなく
知らなければならない事は多くてしかも、なかなか知る機会が無い。
歴史は、人間の来た道だから
これだけ長く積み上げてきたものだから
量も膨大でなかなか大変です。
国籍単位で見れば、中国人とか日本人とかイラク人とかアメリカ人とか
境界線が見えるけど、
国家権力に対しての、個人、庶民という位置から見れば
私達は同じ立場で、この私達が、戦争や駆け引きにどう取り込まれて
何をされたかという話だと思います。
アジアで、日本の軍隊が何をしたかという過去も、
アメリカの落とした爆弾が、どんな悲劇を生んだかという過去も
戦争によって、どんな酷い事が行われるかという証拠であり
正確に、認識されるべきです。
どのように人々が戦争の狂気の犠牲になったか。
そしてその痛みは加害者により慰謝されるべきだと思います。
償って償いきれるものではなかったとしても。
だから、折あらば隙あらば、報道をはじめとするメディアは
頻繁に、市民の目からの歴史の解説をしてほしいと思います。
こんなにいろいろ交流しているのだから知らないっていうのは、良くない。
知らなければそれは起きることに対して、適切な判断や感情の調節ができない。
民間の情報機関(民放とか)から発せられる知識って
こういう意味でも大事と思うんですよねぇ。
多少は、圧力を受けているとしても、結局、受けている、わけだから。
そのものじゃないから。

バグダットのアルジャジーラ支局が一ヶ月間の予定で閉鎖されたそうです。
したら、この、イラクの人達と、
イラクじゃない国の人達との間は誰がつなぐのか?
ポストやFAXに投げ込まれてくる言葉は、
大事なものだったように思うのですが。
何を思っているのか聞くことで、答えられることもあると思う