domenica, agosto 22, 2004

死んだ後も、
喜んだり
悲しんだり
怒ったり
許したりできるものなら
何の為に、生きてるの。

追悼は
のこされた人が、大切な存在を
亡くした哀しみに
なんとかして耐える為に
するのだと思う。
亡くなってしまった人の為には
もう、何もできない。








それまで
興味ももったことない人の事を
亡くなったとなった途端その時だけ、
良い人だった、優しい人だったって言ってみるの
冒涜に等しいと思う。