sabato, agosto 21, 2004

わけわかんね

宜野市に墜落したヘリコプターに
劣化ウランが、搭載されていた可能性があるらしい。
ということは、事故地周辺や、そこに居る居た人、大学生の肺に
放射能汚染の可能性があるという事で
同時に、
そういうものが、普段から私達の頭の上を飛んだり
その辺を運搬されたり、海の上を輸送されたり
しているかもしれない、という事です。

何の為に、どういう理由で私達はその危険と隣り合わせているのか?
そもそも何の為に、その劣化ウランは、存在しているのか?

そして、間違いなくそれにたっぷり汚染された土地に
間違いなく生まれてしまい、逃れがたくそこで生活しなければいけない人達は、
間違いなくこの地球上に存在するけれど
彼らは、何の為に、そんな目にあわなくてはいけないのか?

そういう事全てと、更に目を覆いたくなる全ての酷さの
元凶である、戦争、一部の人達の億単位の利益の追求が
そこに大儀があり得て、しかたのないことと
一般の多数の人に受け入れられてしまえるのは

一体何故なんでしょう。
何の為なんでしょう?

数年前まで
知らないから、知らされる事がないからだ、と思ってた
最近わかるのは、
とても強く、知りたくない、と思っているようだなって事

私と考えが違う、とかそういう人はいいんです。
違う考えでも、自分の考えをもっているから。
全部、闇雲に賛成される方が困る。
かなり頻繁に間違ってしまうから。
間違えに気が付いたら、私の考え方を、私が直すのは、私の責任だけど
賛成してくれるなら、自分で考えてから、
自分の考えとして責任持って賛成して欲しい。
その為には、判断材料の事実を知る事は
(というか、知ることの方がずっと)大事だと思うんですが。
そんな暇はないと。

自分の考えなんか持ってたら、社会では働けない
稼がないと、暮らしていけないから
なにより稼ぐことを優先しなくちゃいけない。
で、稼ぐ事を優先してたら
いくら働いても稼ごうとしても、
それでも暮らしていけなくなっちゃって
生きてすらいけなくなっちゃっているように
思えるんですけど、

うーん。

だからっつうて、考える事を優先するなら
自分の未来は、閉ざすつもりにならないと
無理な場合もあるのも現実。
社会の多数の人々が考えない事の結果によって
まず権利が侵害されやすい弱者が、特に。

考えても考えなくても、
同じように未来が無いなら
私は私なりの悪い頭で、
それでも考え続ける事ができる
”ヒト”でいたいと思うのだけど。
計算機や九官鳥の方が、
いいのかもしれないけど。役に立つし。