venerdì, agosto 20, 2004

こどもでもわかる

誰が作ったものでも、
誰によって作文されたものでも、
良い物は良いと思う。
憲法九条、これ、わかりにくいですか・・・・

私、小学生の時に読んで、
戦争は、しない。
だから、その為の用意もしない。
私達の国は、こういう国なんだ。ああ良かった。と思いました。
わかっていたと思いますよ。
(有事法制のほうが新しいですけど、あれ、わかりやすいですか?
私は未だにわかりません。)

戦争を実際に体験した人々が、
もう、戦争はたくさんだ。
と、思ったなら、
戦争ってそういうものなんじゃないんですか?
もう一度、体験してみないとわからない
本当にそんなもんですか?人類。
それじゃあ、何の為に記録を残し何の為に語り継ぐんですか?

コスタリカ正しかったですね。
ちゃんと本気で伝え継ぐ事から始めないといけなかったんだ。
日本政府や自治体の、子供達が教育を受ける権利の平等について
お金優先で考える大人達の浅ましさ、そこに繋がります。

自分達だけ良ければいい、という考えは
どっち側のものかね、と思わずにはいられない。
自分の後の世代のことさえどうでもいいなんて。

どこがわかりにくいんだろう。
この文章で、自衛権を主張するのも無理だよ。
国際紛争は、国際紛争だもの。
これは武力で解決しちゃいけないのだもの。

憲法改”正”じゃないですよう。
変えてしまうのが正しいとは限りませんよう。
改憲。憲法を改める論議ですが
改めて、その大切さを確認してもいいんじゃないかと思います。

憲法を変えて、殺される人やその家族が泣くのを
アメリカに気に入られたいのでしょうがないんです
で、済ますほうが、自分達さえ良ければ良い発想だと思うんです。
日本のするべき本当の国際貢献は
みんなが、幸せが、一番幸せ、という
憲法九条の政治倫理の精神をもった国際貢献は
国としてではないけれど
日本人の素晴らしい人達が、困難に崩れそうになりながら、
それを乗り越えて尚、心を込めて一所懸命やってる。
やってるよ。
日本国政府がそこの戦地の人達を苦しめる為に支払っている膨大な金額の
そのほんの少しだけでも本当の国際貢献の為に使えれば、どんなにたくさんの人が
幸せになれるかわからないのに。

自分達が憲法に違反するから
憲法の方を変えようなんて
法治国家の発想じゃない。

日本国憲法の、戦争放棄、武器の不所持
この精神を保持するのは日本国民の責任です。
この責任というのは
未来への責任です。
未来に
瓦礫の続く平野で
自分の親の遺体を、燃やして供養する
その火の番をしなければならなくなる子供が
日本のする戦争によって出てしまったら
その子供への責任です。

外国へ行って、人を殺すや否や。
殺された方は、憎みますよ。
戦争をしなければ、憎まれない。