sabato, settembre 11, 2004

911

世界貿易センタービルに
飛行機が飛びこびこんで、この高い建物が崩れ落ち
ほぼ時を同じくして、
飛行機が、ハイジャックされて墜落して
そこに関わる知り合いや家族を持たなかった人でさえ
起きた事実が理解できないようで、言葉を失った。
ピザ屋さんの看板が、煙の風に吹かれてる画像が何度も流された。

それからそうたくさんの日数を経ずして
本当に大切な人を、そこで失った人々が
自分達が彼等を失った事を、
戦争の口実にしないでほしい
遠く離れたアラブの国の人々に
自分達と同じ思いをさせないでほしいと訴えた。

日本人でも、息子を失った方が
まだ傷も本当に生だろう頃から
中東を訪れ、
人々と交流し、
お互いの、自分達のこの苦しみ悲しみが
連鎖されないように
その為に動いている
のを
日本の報道も伝えていた。
それを観ていた人は、それを知った。

確かに、こんな大きい痛みは
当事者にしか、わからない。
けれども、当事者が、その痛みの中で
それを訴えているのを知ったなら
その当事者の数だけじゃ、声が届かないなら
その心に添って、声を合わせるのは、軽々しいことかな。

一番、この事件の痛みを、大きく受けただろう人の声が無視された
そういう報復ってなんだろう。
彼らが、悲しみに耐える事でも、本来なら精一杯で
じっとそれを堪えたい、静かにそこに集中したい時に
その痛みに焦がされながら
それでも、それだけはしなくてはいけないと
訴える想いに、真っ向から逆行するような戦争は
それは、良い事・・・支持できる事・・じゃないと思うけれども。

それからの3年間、追うこともできないほどの速さで増え続けた
失う事の悲しみは
誰かの心の救いに、なり得たものなのかな。

365日全てが悲劇を念に記す日になって
毎日追悼集会が行われなくては
平和への祈りは、真実味を持てないんでしょうか

私は覚えている。
あの時、名前の聞こえた人で、日本の言葉で一番最初に
戦争のおそれと、戦争を防ぐ事を訴えたのは坂本龍一さんだったな。
グリーンピースは、メールを送信したりしたけど
メッセージを出さなかった。
テロ後、このペンタゴンの被害の奇妙さと
アメリカ政府関係者とアルカイダのつながりを
いち早くアップロードしてた日本語サイトはJelousGayだった。
誰も反応してくれなかったけどさ。
そういうこと、全部見てたのに、
自分のページにメッセージを流す事と
いくつかのメールを送信する事しかできなかった、
自分の無力さをよく覚えてる。
そんなのちっぽけな自己満足にすらならない。
今もまた、無力だ。
見てるのに、何もできない。

日本が今、するべきなのは
自衛隊の撤退と
憲法を守る事
そして、この戦争への支援と支持をやめること。
日本が、やめると言えば
ついてゆくものがそれを拒否すれば
もしかしたら、戦争は終わるかもしれないと
お金が動かなくなれば
戦争の必要は、それを主導している方々にも
無くなるんじゃないかと
今でも私は思っている。
思ってるだけ。
今度は、画面ではなくて
自分の目で直に、
立ち上る煙と、傷つく人々を
見なければならない日が
来るかもしれないのに。