venerdì, febbraio 25, 2005

扉の欠陥

TVに踊らされている自分がつくづく嫌だ。
ニュースはチェックしているのに、現在が国会会期中であることさえ
気がついていない人もいた。
それに、NHKの番組政治関与問題だってどうなった?

それでもなんだか、気になっちゃったメディア買収の件の細かい所
Livedoorが、提案する、
展開や結末が、視聴者の声で変わっちゃうドラマって
それ、観る価値があるのかなぁ。
私なら、観ない。
それは、表現者の表現を
数の力によって歪曲する事なんじゃなかろうか?
そんなドラマ、
作り手の人たちは、作りたいんだろうか?
たとえそれで、感動できるように仕上がっても
完成度の高いものとは言えない気がする。
それは、”作品”とは呼べないような気がする。

それにしても、
この件見ていてつくづく思うのは
私以外を見ても、なんとなく、
めだまって、「変わって欲しくない!」
と思われるような理屈じゃない愛着を
一般の視聴者から
あまり持たれていないんだなぁという事でした。

実際、今のままだって、
結局、視聴率に安易におもねって
作り手の訴えたいメッセージなどは、軽視されたような
ドラマ作りになってきている気がするし。
ただ、あからさまに、そうします!とシステム化してしまうのと
なし崩しにそうなってきている事で、改善の可能性が残されている
というのとでは、ちょっと違う。

そうなって欲しくない、と、思っても
取り返しがつかないことがあるから
そうならないように、
そこに至る道を選ばないよう考える意味があるわけで。
また、後から後悔しても
もう、やり直しがきかないからこそ、
貴重な大切な時間、というのもあるわけで。

でも、そんな大事な事とか話の意味とかどうでもよくて
ただ面白ければいいだけのドラマなら
そりゃ、どうなってもどうでもいい。
ただ、作り手がそう考えているその時点で既に
その話は、面白くない。