domenica, luglio 10, 2005

雑感

つまるところ、”テロ”と称するのは間違えではないと
私は思う。
恐怖によって、物事を進める事が、Terreurだというのだから、
各大国が、ぶっつぶす、と言いながら世界中で行っている事も
全てテロだし、また、いつどこで何が起きるかわからないと
世界中の人を怯えさせている何者達かわからない人々も
勿論テロだろうと思う。
本人たちがresistanceと思っていても、
脅かされる側にとっては
自らがどういう立場であれ、自らに罪があろうと無かろうと、
怖いと感じればTerreurであろうと思う。
Terreurであり、同時に、Resistanceでもある、という事も、
ありえるのだろう。
今、報道以外の場所(教科書(・・・。))で偶然Terreurという単語に出会った。
その意味するところは、恐怖政治だった。
恐怖によるものはなんでもテロである。
辞書によれば、Terrorismeは、暴力主義であり
Terroristeは、暴力主義者である。
それが何を意図する、何を目的とするものであっても
武器を持ったらテロである。
私は、もう、そう考える事にした。
めんどくさいから。

正しい”テロとの戦い”は、断固として戦力を放棄する事であるし、
”テロに屈しない姿勢”とは、
自らは傷を負わない政治的主要人物が、安易に武力によって物事を進めたくなる気持ちに
屈してしまわない、という事であるはずだと思う。
が、現実は違う。
各国政治家や、報道はこの言葉を、それぞれの都合によって自己弁護とえこひいきの為に使う。
自己弁護とえこひいきがある限り、言葉が変えられても、物事は解決しない。

言葉じゃないんだよ。問題は。



さて、そんなわけで、60年前まで続けられていた、
日本という国が国民を総動員して行ったテロでありますが、
こういう例え話は、無意味だと常々思っているにもかかわらず
規模を縮小して考えてみました。

が、やっぱりあまりにも無意味だったので
削除しました。
けろけろっ