domenica, luglio 31, 2005

写真ってすごい

近所の公民館で森住卓さんのバグダッドで撮影された写真が展示されていた。
つまり、いろんな人があらゆる所で実感する事だろうけれど
何も目新しい感想じゃないだろうけれど
実感したわけですよ。
やっぱ、写真ってすごい。
バグダッドの路上でなげやりになっていたり
白内障の辛さを、訴えていたり
アメリカ軍出て行け、と訴えたくて書かれた落書きの思いが
こんな島国の僻地まで、届けられて来るんだからすごい。
直に行ってみることができない私らのところまで
この表情が届いて
このパネルから、こっちをにらみつけるんだからすごい。
笑いかけるんだからすごい。
なんか、あまりすごいなぁと書いていると、
普段、滅多にこういう展示を見に行けないのがばればれですが。
いつも見慣れている公民館の薄暗がりから
いつも遠い遠いと思っている顔が、こっちを向いている。

ホテルの一室に、NGOの協力で
孤児たちが生活している、という写真
あの中に、ネットで見る写真や文章で知った人の
2003年の時の姿もあるのかなと思ったら
写真がちょっと違って見えた。

そうだったんだなぁ、と思った。
ただひたすら恐ろしかった原爆写真展の
あの写真に写っていた顔も
その時代その場所に行って見る事は、絶対にできない表情を
届けていた物だったんだなぁと。
怖かったんだもん。
まともに直視はできなかったけれど
でも、そういう事だったんだなぁ、と今思う。
私の子供の頃は、毎年夏になったら絶対原爆写真展が、どこに行ってもってくらい
展示されていたけど
この頃では滅多にみない。
テレビとかで、どこそこでやっていますっていうのは、聞くけど
うちの近くでやらない。
前は、やってたのに。毎年。

原爆の被害の写真
8月6日、8月10日の、あの瞬間まで
現実に存在していて、ああいう事になる前は、普通にしゃべったり
転んだり、生活していた人だというところが
希薄だと、ただ怖いだけだったんだなと思う。
今、その辺に居るような人が
その辺で毎日、素朴にというか、健気に、というか
たいして、すごい良い事がなくても、毎日
お箸の音のする、風鈴が鳴る、泣いたり笑ったり怒ったりする生活をしていたのに
それが、奪われて、ああいう怖い事になっていたんだなと思う。
重点を、前のこの生活の時の、この人達の生において
その上で、原爆が落ちて、この結果に至ったという事を
きっちり理解してみると
ちょっと見えるものがまた、違っただろうなぁとおもう。
頭で知っていても
やっぱり、今痛いだろう怖いだろうという瞬間の部分だと
とにかく、怖かったり痛いのが直に来るので、怖いというか痛いのだけれども。
痛いこの時の前に、痛くない、戦争も起きていない、時もあって、
それが奪われて、この瞬間であると
・・・やっぱり、ここまでその生活ってやつを過ごしてこないと、
そこまで考える余裕は子供の私には無かったな。
それでも、今でも、本気で真向かうと
また、大変なわけだが。
大変でも、いいかげん選挙権持って投票できる年齢になったら、
少しづつ、なんとかこなせるように・・・
この私でも、まぁ、なんとかなってくるので、
大人の為にも原爆展、やったほうがいいですよ。
なんか話がずれているようなそうでもないような。

個人的にも、バグダッドに直に行けないわけなので
行って撮影して写真を提供した方が居て
結果、この公民館までこの切り取られた瞬間が届けられたことを
ありがたい事だと思った。
有ることが難しい、よくぞ、有ってくれた事だと思った。

こういう事が技術的に可能になったのだから
前と同じようじゃ、おかしいと思う。
前にも、戦争は起きたのだから
今起きているのもしょうがない、では、やっぱりおかしいと思う。