lunedì, agosto 30, 2004

戦争は嫌

あのね、
机上の論理でも、何にもできない人でも
口ばっかしでも、平和ボケでも
どんな風に自分のことを思っていたとしても

戦争は嫌なら、嫌って主張した方が良いと思うよ。

自分の目でその場で見てみなくちゃ
戦争の悲惨さがわからないのなら、
何故、ジャーナリストは身体張って、取材してくるの?
体験しなくちゃ、意見を言えないなら
えらそうなこと言えないです、って
何も言えない人ばかりになっちゃって
で、こうなっているんじゃないの?

憲法九条を変えたからって
実際に日本が戦争になるかどうかわかんない。
教育基本法を変えたからって
戦争で死に行くことを美徳とされる社会になるとは限らない
大袈裟に考えすぎなんじゃないか 
なってみないとわかんないんじゃないか 云々
大袈裟じゃない事が、証明されてからじゃ
遅すぎるんじゃないでしょうか?
なってみてからじゃ遅すぎるんじゃないでしょうか?
これは、それみたことか、とは言いたくないなぁ。
そういう状況にありたくないなぁ。

戦場で銃を抱えて自分の血液の中に倒れて
ゆっくりになっていく自分の鼓動を聞きながら
そのときになってはじめて
ああ、戦争って悲惨・・・って思っても
遅いだろ。
天国のドアを叩いてからじゃ遅いだろ。

なってみないとわからなかったら、
未然に防ぐなんて、できない事になる。
全ての悲劇は、起きなければならなくなる。
起きちゃったら、それから後悔しても遅いんじゃないかなぁと
思うんですけど。
刺されてみないと刺される痛みがわからないなんて
おかしいと思うんだけどなぁ。
想像力はどこに行ったんだ。

悲惨な事は、起きない方がいい。
戦争は、起こさないほうがいい。
広島も、長崎も、原爆が落とされないで済んだら
その方が、良かったに決まってる。
犠牲者の方々が犠牲にならずに済んでいたら
たとえ、その人生がどんなだったとしても、
それでも、その方が良かったはずだと思う。
どんな人生か確かめる権利は、個々各々にあったと思うよ。

自分の国のやっている、私達の責任だから
これが現実に起こっている事だから
見なくてはいけない写真からも文章からも
限界ぎりぎりまで、目をそらさないようにしてるけど
私は、これを見る必要がなくなってほしいから
こんな事実が無くなってほしいから
戦争を、その支持を、資金援助を、軍隊の派遣を
やめてほしいと願ってる。
こんな現実が、世界のどこにも無くなる様に
世界中の国が、憲法九条のような
戦争の放棄、武器の放棄を、誓って欲しい。
戦争をしない決断を、まず、自分達から示したからこそ
この国の事を
なりゆきはどうあれ、誇りに思う。
これをここで止めるわけにはいかないでしょう。
ここで、その日本が、この誓いを破るわけにはいかないでしょう。

戦争が無くなる為には、
ひとりでも多くの人が、
それを拒否することが
必要だと思います。

ひとりひとりの声が、どの小さな声も、絶対必要だと思うけどな。




(自分に書いてるの。)