mercoledì, settembre 01, 2004

本業

オリンピック多すぎです・・・もう終わったから。
確かに、選手達もがんばってるのでしょう。
でもね、報道のために、その為だけに
がんばってきている人達って居る筈です。
スポーツ選手は、試合でもその専門の番組でも
何度でも何度でも何度でもその成果をアピールなさっているけれど、
フリージャーナリストが取材してきた素材は
報道番組が取り上げなかったら
命かけて取ってきた映像も
誰も観る事ができないじゃないですか。
一人でも多くの人が、見る必要があると思って
撮影してきたのに。
報道番組で放送しなかったら
どうやっていかすんですか?
日本が自衛隊を派遣して、多額の税金を費やして
恥も無く支持してきている戦争が
どういうものなのか、
私達は知る権利があると思うんです。
憲法九条は、私たちのものです。
今、それを権力の横暴で奪われようとしています。
その奪う口実のひとつが、日本だけがお金だけ出して
汗を流さなくていいわけはなかろう、というそういうものな以上
その反論の根拠となる
”やってるよっ”軍隊を出す以外にも
本当に戦場に住む人達が望んでいる
日本の人達による人道支援は、なされているよ、よってば。
という事は、私達日本人は知らせてもらう権利があるんじゃないですか?
そして、それこそ、それをきちんと権力側じゃなく、
国民の側の目の高さで放送できるのは
民間放送局の報道番組しかないんじゃないですか?
それが民間放送局の報道番組の本当の仕事なんじゃないですか?
報道番組だと思って観ているんです。
スポーツ番組、スポーツファンの為の番組なら
悪いけど観る気ないんです。

30日に、イラクではサドル氏が
信者に対し、戦闘停止を呼びかけました。
武装攻撃をしている最中は、それを報道し、
このような動きがなされたときには、黙視するのは
フェアじゃないと思います。
このニュースと、これは放送された、国連の指揮下には入らない
この戦争は正義だったとあくまで主張するアメリカを
並べてみたとき、この戦争の今の流れの構図はもう少しはっきりと見えたのでは
なかったでしょうか?
そして、日本が、この、人がたくさん亡くなっている戦争というものに
どのように今関わっていて、本来はどう関わるべきなのかも
見えたのではないでしょうか?

また、同じイラクで
フランス人記者が2人、フランスの
イスラム教女性信者生徒に対してのスカーフ禁止法
の撤回の要求とひきかえに人質になっていますが
この2人を救出する為に、フランスで市民が行った集会には
スカーフを着用した女性も現れて、
イスラム教徒は人質を取ることに反対する
と書かれたプラカードを掲げ、拉致犯人達への抗議をしたそうです。
こういう事も放送されないと、今の状況下では
イスラム教に対しての偏見が、たかまってしまうのではないでしょうか?
同じ外国でありながらアメリカの市民の声は、どちらの立場にある人のものでも
伝えられます。なのに、何故、中東に関する報道は
それがこんなに少ないのでしょうか?
印象に残るのは、
武器をもって、興奮にかられている人の姿ばかりです。
現実は、そればかりじゃないのではないでしょうか?
そして、怒りにかられている市民達の間で、冷静になろう
もう少しポジティブにイラクの再建を考えようというイラクの人々が
少しづつ出てきていている事や、
その動きには、日本人の丸腰でただ支援をする為に
危険の中に入っていくNGOやNPOの人達の、優しい波動も関与していることを
日本人のたくさんの人が観て知って、それを考慮して、憲法の問題も
これからの日本の世界に対する関わり方も考えてほしいのです。

日本の与党第一党の内部であれば
確かに、どうなっているのか多少は知る必要がありますが
正直、それよりも、なにより大事な平和の中で生きる権利が
剥奪されそうになっていることが、一番気がかりです。
そして、日本の国民の人が、知るべきことをきちんと知っているかどうかは、
とても重要になってくると思うのです。