domenica, maggio 22, 2005

少数派

Iraqで3月28日に拉致されていたルーマニアの報道関係者が
解放された。Prima TVの記者のMarie Jeanne Ionさん、
撮影のSorin Dumitru Miscociさん、Ovidiu Ohanesianさん。
彼等のガイドをしていたイラク人のMohamed Munafさん。

拉致して人質にして、処刑すると脅迫したり、
命と引換えの交換条件を提示したりする事は、許されないと思う。
他の方法は、何か無いだろうか、と思う。
だけど、そうやって拘束された人を、無事に解放し帰した事は
認められなければいけないと思う。
イラクに住む人は、新政府の警察からだか、どこの軍隊の兵士からだかわからないが
何の理由も無く、逮捕され連行されて、遺体となって発見されて
その一人分について、国際的にニュースにならない。
基本的には非難されるべきこと、として取り扱われない。
納得行かない。
拉致して人質にして銃を突きつけたりするのも、
無差別に辺りの人を巻き添えにして自爆するのも
自動車爆弾を仕掛けるのも、砲撃するのも
勿論非難されるべき事だし、
地元の人の仕業と見せかけて、爆弾仕掛けるのも
刑務所という設備に理由無く拘束して、対象者の宗教をむやみに冒涜したり
物理的にも精神的にも傷つけたり苦しめたり殺したりするのも
勿論非難されるべきだと、思う。同じように。

地球上に人間はやまほど居て、それが人間世界なんてものを作っていて
国際というのは、その全員を対象にした事だと思う。
とすれば、その全ての視点を持つのが理想であって、
どうしたらそうできるかわからない所は、試行錯誤されるわけだけど
こういう、どうみたって、あるのにもかかわらず、
取り上げに差がついて、意識的に遠慮される視点が
あったままにされるっていうのは、
どうもよくわからない。
絶対的な人数考えたって、さぁ、
権力を持っていて強い立場にある人の数よりも
そうでない人間の数の方が明らかに多いのだから
不特定多数の人の関心における重要度で取捨選択されるにしても
影響を受ける側の人が多い方が、
つまりー、大切にされていなくて苦しんでいる、もしくは
苦しむ事になる側の人間の方が、多い側からの視点の方が
なぜか、その全部が現在進行形で無いばかりに
マイノリティ扱いなんで、なんだか、こう、納得行かない。

軍隊を動かす権限を持っている、政治上実行力のある立場の人間なんか
裏表の存在を合わせて地球上全部あわせても、
たいした人数じゃないと思うのだけれども。