mercoledì, maggio 18, 2005

益害

アフガニスタン首都での拉致事件
職員が人質になれば
それまで続けられていた支援活動も
それまでどおりには進まなくなるでしょう。

http://www1m.mesh.ne.jp/~peshawar/83nakamura.html
↑掲載手記のアフガニスタンの山岳部において
診療所が診療停止にされた事も、また思い出しました。

各国政府によるもの、民間の組織によるもの
いろいろな武装した人々が、武器を持って実力行使をする中で
一般の人たちは、困窮し、
ただでさえ困難であるだろう救援活動も
結局、武器による力、権力による力のごたごたの為に
続けることの困難さが増していっているようです。

結局、軍隊というもの、戦力というもの、武力というものの
生み出す結果は、いつもこういう事なのだろうなと、思います。
普通の人は、誰によってであっても、
不幸になっていけば辛い事に変わりはないです。
つくづく、戦力の不保持、という事が、
どれだけ筋の通った大事な事かと思います。

軍でも隊でも組織でも、なにしろ武装した人々を、
強そうに頼もしそうに見る人もいるかもしれません。
けれど、私には、その強さが
日本でも、また、武装した彼等が派遣されるどこかの国においても
私達普通の人々にもたらすものが、何かを考えると
鬱々とした不安にかられます。

同じペシャワール会の14日に更新されている報告の中に
武器ではなく、作業道具で行われた仕事の結果が見られます。

灌漑水路から、分水路が畑にひかれ、水が注ぎ込み穀物の芽が出ています。
パキスタンに出稼ぎに出ていた、難民になっていた人々が
農地を耕す為に帰ってきているそうです。

出稼ぎで、出稼ぐ事ができずに、武器を手に取った人もいたかもしれません。
故郷に戻って、緑を育てている事は、誰の命も脅かさないでしょう。

まとまりませんけれど、
まとまらないくらいに強く思います。
とにかく戦力は、ほんとに、ろくなことしない。
持たないに限るって。

小さくまとまった世界地図で物事を考えると
本当の土地の大きさがわからなくなるものなのかもしれません。
画面におさまりきる朝鮮半島の脅威よりも
怖いものがあります。
国益という所からだけではなく
ひとりひとりの、日常の生活からの視点でも
同じ事柄について、報道されていて欲しいと、思います。
国益というものは、誰のための利益なのか、どうもよくわかりません。
”利益の為に”、脱線した電車を見ても
誰のための利益なのか、わかりません。
普通の人々の、では、ないような気がするのですが。
”利益”によって私達の生活に起きる事は、何ですか?