sabato, agosto 06, 2005

想定内

朝まで生テレビー、本来はこうしたかったのか?
前の回のは、想定外のまぐれ当たりか?
前回のような潔く勇気ある人は
資料を読み上げるのではない
自分の体験した事の証言を残そうという気概のある元兵士の人は、
やっぱり少数派か
日本人こんなんか、いつまでも教え込まれたままか
60年経っても、自由になれないのか

この人達がいそろくさんに会ったのか?
御前会議の場に居て聞いていたのか?
作戦会議の場に居たのか?
もう既にある資料の棒読みなら、
もうあるのだから今貴重な時間を使って
この人が話す必要はないじゃないか。

結局、空気か。
現役時に命令する側だった怖い人が、にらみつけてちゃえば
空気の流れは、どうにでもなっちゃうんだ。
で、流したい空気の流れは、こっちなんだ。

その中でも、あまり機会を与えられないにもかかわらず
周囲と違ってしまう意見を言い続けていた方も
居なかったわけじゃない所に
せめてもの、救いがあったかもしれない、
こういう人達がしゃべりにくいまま
いつまでも脅かされたまま
罪悪感を自分の中に押し込めたままにさせて
この人たちに背負わせたままにしておく事が
後の世代の、ひどいところだと思うんだけど。
いつまでも強い側の言葉ばかりが残ってしまって
その轍をたぐって繰り返す堂々巡り。

こういう場の雰囲気が
逆に、自分の国に対する卑屈な感情を育てるんじゃないかと思う。
いつまでも、死ぬまで怖いものの強い国だよなぁ、
抗える個性を持った人が孤立化させられる国だよなぁ、って思って。
そういう国民性も確かにあるし、よーく知ってることだったわ。
運とかコネとか特に備わったものがない限り、
どうせ、安く使われて捨てられる人間だし
それに不満を持つことも不敬なんだし
普通の人なんて、居ても居なくてもたいしたこともないんだなっていう
諦めも出てくるんだと思う。

あーあ、これも現実

それで、いいっていうなら。