sabato, settembre 03, 2005

還暦

(つまらない事を書いたので部分削除。
日本って狭いようで広いな。世界地図ばっかり見てたらいかんな。)

憲法は、誰が作ったものであろうと
アメリカ人が作ったものでも
自民党憲法調査会が作ったものでも
日本人、個々個人にとっては他人が作ったものに変わりは無い。
確かなのは、60年前に戦争を経験した日本人が、
現日本国憲法を、その九条を
選び取って、その後もずっと護ってきた(とにかく。とにかくなんにしろ)
という事だ。
戦争で、日本国が持つ軍隊の
兵隊によって人を殺す事を、しないできた、という事だ。
起きてはいけない事をその分だけでも起こさなかった、
その分だけは、その努力がなされたとは言える。

罪を認め、罪を知り、罪を繰り返さない国であると思えるという事は
せめて、誇っていいことなのではないだろうか。

・・・・その誇りを、傷つけられている事は
加害に加担している国となってしまった今
同時に、被害者だと感じる、ぞ。
私の国に対する敬愛追慕の情をどうしてくれる。

日本の自衛隊は、
まだ、装備している武器で
他国の人間を殺害していない。
知らされている限りにおいてはそうであるはずだし
そうであると信じている。
早く無事で帰ってきてよ。

戦争で他国を攻撃しなくても
ぼろぼろに破壊しつくされた所から
ここまで復興できる事を証明した。
このまま証明し続ける事ができれば
他国に対して
戦争は仕方の無い事じゃないと
不必要な悪だと
示し続ける事ができる。

この選挙、投票権、使い方によってはとんでもない価値がありますよ。

まさに還暦。いまや、またここから一となって選択しなければならない。
(失敗すると、もう一度うんざりする所から始めなければならない。
・・・・絶っっ対嫌だ。
誰が、妻子の為に戦争に逝くって?戦争映画の宣伝にしてもあんまりだ。
妻子守りたかったら、助けを求められたら助けられる所に居なきゃだめだよ。)



戦争は、現場でその場でそこに居て戦っている人全てが
うんざりで、なんの意味も無い、つらいばっかりだ、と思えば
たとえ策動者がいかに何をしようと
理屈では、止まる、事になる。
武器をもった人全てが
意味が無い、と思えたら。
その根拠は、今嫌だと思っていることを止めても
困る事は無い、と思える理由。
止めた場合どうなるか、を考えて
それなりに、やっていっている国がある事を思ったら

イラクだって宗教の派の違いがあっても
キリスト教信者もスンニ派信者もシーア派信者も
ほんの少し前まで共存していた、と伝えられている。
共に暮らせていた。
たとえ今、さんざんいろいろな方法で焚き付けられ、
とうとう本当のひびが入ってきているのだとしても
その記憶はまだ残っているはず。
米英軍、多国籍軍が出て行って
作りあげられた憎悪は、作られたものだった事に気が付けば、
まだ、取り返しがつくかもしれない。
亀裂を、とりかえしのつかない何百年も続くものにしてはいけないだろう。

アフガニスタンで行方不明になった日本人旅行者は
何年か前だったら、こんな事になっていなかったかもしれない。
世界においての、日本人が日本人であるがゆえにもっていた
特別の安全膜は、崩落しつつあるそうだ

なぜか、考える必要がある。
それが、どんなに大切なものだったか。
世界中の紛争地域に、ぜんぜん日本国内で知られていないような所にも
日本人ボランティアの活動があるのは、日本人だったからかもしれないと
日本人だからできる助けがあったのかもしれないと思うのに。
それが、どれだけその場の人達にとって必要かわからないのに