venerdì, settembre 02, 2005

反省していなかった国

<戦前引きずる軍人恩給>
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050829/mng_____tokuho__000.shtml

自分の罪を自覚しつつ
かつ、更に重い罪について明確する勇気っていうのが
勇気なのかもしれない。
私には、いまひとつどころか、今4つくらい足りない。
少なくとも集合体の罪は、集合体によって、自覚されなくてはいけない。
どのような経過があっても、
畏れずに非情に人を殺す事は
勇気でも、勇敢でも、冷静でも、決然でもなく、
卑怯である事には、間違いは無いと思うが。
どんな理由であれ。
どんな周囲からの空気の圧力があったにしても。
どんな価値観を教え込まれていたとしても
教え込まれる他に、自分で培う価値観というのは、あるはずだと思う。
卑怯にならざるを得なかったにしても
卑怯である事に間違いは無いと思う。

だけど、その罪を直視して、今証言し、
この事を戒めとしてこの先も戦争を拒否する国であってほしいと、
求めるような元軍人の人達は、今、卑怯じゃないと思う。
ものすごい勇気があると思う。
でも、被害者の身になってみれば
そう、思えないだろう、という事は、想像するまでもなく想像できる。
この時点で、その直接のどちらでもない人間は
ひたすら、繰り返さないと誓うしかないし、被害者の和らぐわけもない痛みを
和らげる方法を模索するしかないじゃないか。
うちらが誰か責めてどうにもなんないじゃないか。
ここで、困ってしまうのですよ。