domenica, settembre 04, 2005

(11)

『母の遺したもの』では、
あの詫び状は梅澤氏が書いたものだ、と記されており
泡盛で宮村氏を酔わせたなかで捺印させたと書いてあるがと
梅澤氏に聞いたところ、泡盛など飲んでない。
ビールは少々飲んでいたがあれは宮村氏が自分で書いて
印を押したのであると云っておられました。

『母の遺したもの』は全部は信用できない、
お母さんとあれを書いた娘さんとは考え方が違うようだ。

http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/0506-2.html
(『沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会』顧問 中村粲さんのHPから)


(以下 座談会における
『母の遺したもの』著者 宮城晴美さんの発言から引用)

「自由主義史観」の人たちが先月沖縄に来た。
私の母の「集団自決」は隊長の命令ではなかったという証言を、
私が『母が遺したもの』という本で書いた。その中から「隊長は命令しなかった」
という都合のいい部分だけを拾い出し、
横浜の公立の中学校の先生が授業で使うためのモデルをつくった。

宮城 隊長の命令がなかったと証言したために、母は島で攻撃を受けた。
それから母はすごく落ち込んで、結局はがんで亡くなってしまうが。
母は歴史を曲げてきたという思いがあって隊長が生きている間に、
きちんとしたいという思いがあった。

http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/zadan20050608.html

 私は、隊長の命令はなかったと書いたが、
その本には当時島がどういう状態であったかも具体的に書いてある。
それを読めば、読者は、島の人たちが勝手に死んでいったとは思わないはず。
「玉砕するから集まれ」と各壕を回る伝令の役場職員がいて、
彼が来たことで、島の人は隊長命令だと思った。それまで陣地を構築するとか、
食糧増産など島の人を集めるときはその伝令が来たから。
激しい砲弾の中で伝令が来たことは、隊長の命令だと島人に理解された。
しかし、命令があったかどうかというより、
皇民化教育は国のためには「死」を惜しまないことを教えており、
「集団自決」は敵を目前にした住民の必然的な行為だった、つまり国家によって殺されたといえる。

 命令しなかったという隊長はそれじゃ許されるのかというと、
そうではない。彼の戦後の生き方が問題だ。自分の身の“潔白”を証明しようと、
手段を選ばず、えげつない方法をとってきた。
(宮城晴美さんの引用オワリ)
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/zadan20050610.html

<歪曲>
故意にゆがめること。ことさら事実をいつわって伝えること。多くは悪く変えることにいう。
「…して報道する」
(大辞林)

沖縄からの限りない異議申し立ての声を押しつぶそうと、
自分の耳に聞こえないふりをするのみか、
それを聞きとりうる耳を育てようとしないこと、
それはおなじ国家犯罪への新しい布石ではないのか。
(大江健三郎さん 著 「沖縄ノート」 215頁)

全ての改行は引用者による

9月17日付箋
http://d.hatena.ne.jp/dempax/searchdiary?word=%2a%5boe%5d