sabato, settembre 24, 2005

クライミライ

Baghdad Burning更新。

遠くない日本の将来に起きるかもしれない事と
重なって見える。

戦争があって、憲法に関する国民投票
国民投票があって、戦争。
どっちにしても、・・・
現行の日本国憲法のような
すんでいる人、人間個人の立場に立った
人権を最優先にした優れた憲法は、
今の日本国憲法を、今の日本人が守れなかったら
暫く先、数百年かそのくらいの
日本以外の、ここなら大丈夫かもしれないという
どこか別の国でしか、誕生できないかもしれない。

アメリカ政府がこれだけの世界への力を持っている間は、無理でしょう。

なんだろうな、権力って。

戦争がひとまず終結した後
イラクは、どうなるんだろう。
クルドの人と、宗派が違う代々イラクで生活してきた人と
ルーツはいろいろだがイラクで生れた人々と
あと、なんか、それぞれひとりひとり違う人達と
その間に決定的な、数百年も続いてしまうような亀裂が生じない事を願う。
アメリカのエライ人達っていうのは、
昔にさかのぼればイギリスとかフランスとか日本もだが
こういう余所の国を、無責任にぐちゃぐちゃにすることについて
全く、責任を取らないで、一生裕福に暮らすわけだけど

・・・ボルトンさんじゃないが、国連てのは、何の為にあるんかね?
国際法廷というのは、一番裁かなくてはいけないのは
こういう大国の罪なんじゃないかなぁ。
そういうのを、何かが怖くて裁けないようでは、いけないんじゃないかなぁ。
なーんつって事を、ほげない私がほげてても
まったく、何の何にもならないわけであるが。
人間なんてつまんない。つまんないつまんない。

(思いっきり都知事とかぶってしまった。なんてこった。
でも、私は国連憲章を信じる人が”馬鹿”とは思わないけど。
そうじゃなくて、そのしっかりとした理想に基づいた憲章を
作り上げた精神に立ち返ってほしいと思う。
国連は、あるべきだけど、
少し大国の権威に遠慮しすぎの現状を何とかすべきと思う)