mercoledì, ottobre 05, 2005

矛盾

「家永教科書検定第3次訴訟 の二番煎じ,
≪座間味島の守備隊長だった梅沢裕≫は 何故 玉砕しなかったのか
何故 靖国の英霊にもならず生き延びてきたのか 」という件
http://d.hatena.ne.jp/dempax/20050822#p1について
反射的に嫌悪感を感じてしまい、考える事を止めてしまっていたが
確かにそれは、機械的に見ればひとつの矛盾だ。
民間人に「生きて虜囚の辱めを受けるな。おめおめと敵の手に落ちて
スパイになるな」と教えたままの価値観を現在までひきずり
「むしろ、私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で
死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、
というような言い方をして、その死の清らかさをおとしめてしまうのか。
私にはそのことが理解できません。
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sonota/0506-3.html
という考えを支持する人が、
なぜ、その人自身は、”清らかに美しい心”で亡くなっていないのか?
その人物が、死ねばよかったのに、とは、思えない。
だけど、だからこそ、沖縄の島民の人々も、玉砕しなければ、という気持ちにさせては
いけなかっただろうと思うし
これから先も、お国の為になら命を賭ける等と
誰にも考えて欲しくない。

ちょっと前の朝まで生テレビでも、
戦艦の爆発で、海に漂流していた経験のある人への
「漂流の間、何を考えていましたか」という質問に
なんとかいう女の人が、
「後の世代に、(勇敢に亡くなった上官が居てどうこうとかそういった話を)
伝えようと思ってですよね」
と、誘導尋問並みに答えを強要していたが
そういう国の為に死ぬ事が勇ましい美談である、
と伝える為に、生き残るって、なんじゃ?
国の為に”散る”のが、良いという価値観のまま
散ってないっていうのは、そこで矛盾している。
”国の為に散ってしま”ったら、いけないんだよ。
だから、その人も元兵士の人もみんなここまで長生きしたんでしょうよ。

生き残る方が良かったなら
上官の人でも、他の日本や日本以外の国の民間人でも
お国の為に玉砕しない方がいいじゃないか。させたら、だめじゃないか。
その人は生き残るのが良くて別の人は死ぬのが美しいという
そう思うなら、その間に”差”があるだろう。
だけどさ、個人としてなんらかの縁があれば
縁のない生き延びた人より、亡くなった人の方が生きてて欲しかったと
思ったかもしれないじゃないか。

自衛の為の軍を保持して
武装をし、攻撃された場合は武力行使に踏み切る
という事は、戦闘行為によって誰かが死ぬ事を肯定する事だと思う。
火事から救う為であれば、死ぬとは限らない。
天災時の救助でも、天災は人を殺そうという意志を持って
やってくるわけではないので、死なないように職務を果たす
という事が前提にされると思うが
犯罪者だって、生きて逮捕され法にもとづいて裁判がされて
刑に服させる事が、前提にされているわけだろうが
軍隊が武器を持って武力行使をするというのは
その武器で”敵”を傷つけたり殺す事だから、
その職務は、結局、人を殺すものだと思う。
殺す気で向き合えば、相手も殺意を持つだろうから
殺される事も職務になってしまう。
要するに、国の自衛権の主張ていうのは、
国民各個人の持つ自衛権の剥奪なのではないか?

軍隊は、普通の家族の中の誰か一員から志願だか徴兵だかされた人で構成される。
で、彼等が何を守るかというと、さぁ、結局
「要人」の権力と生命と財産じゃん。
「要人」の自衛の為に、「要人」とみなされない人が
命を賭ける事を命令されるわけだ。
有事法制によれば、「要人」が有事とみなした時は、一般人の財産も権限も
剥奪される事はもう、定められてしまっている。
そして一般人の生命も剥奪するとするのが、憲法の九条の改変なわけなんだけれども、
殺される立場の人がほいほい賛同しているのはなぜだ?
いいじゃないか、模型の戦闘機とかで遊んでいれば。
戦闘機とか戦車とか、どうしても好きなら、好きでもかまわないけど
悪魔のイメージが好きという人も居るし。別に害はない。
でも、趣味と、国の方針に関する考え方、は、わけてほしい。
誰かに、自分の意思に関わらず殺したり殺されたりする事を強要するのは
害以外のなにものでもない。

国という単位の集団による犯罪が、戦争だと思う。
国であっても、犯罪をするってことだ。
それをしてはならないっていう法律を
変えようとしているって事は
危険な事だと思う。
「要人」から、「不要人」とみなされた一般人にとっては。