venerdì, ottobre 07, 2005

海月大発生

7日に明らかになった、今月中に決定するとされる党憲法改正草案の前文の素案概要
のなかの表現。「国民の努力で国の独立を守る」って、これ新しいか?

「もうだめなのかな」「どうしたらいいんだ」
「怖い」「怖い」「怖い」「怖い」「怖い」
海月のように頭の中で異常発生していて
それ以外の言葉を、このクラゲ達の中から探し出しても
もう、このクラゲ達の毒でやられてしまって意味を成さない。

軍隊に統治される軍事政権を
遊び半分に作ってしまいつつある。

竹って60年に一回、花が咲いて枯れる。
あれだけたくさんの人を虐殺して、苦しめて傷つけて
それで思い知った戦争への悔恨は
たった竹一本分しかもたなかったわけである。
人一人の平均寿命にも満たない。
要するに実際に経験した人より後の世代には
引き継がれなかったという事だ。
歴史を語り継ぐ、というのは、結局不可能なのか。
残るのは、自己陶酔な美辞麗句に修飾された英雄譚だけか。
それで、デフォルメされた勇壮物語を持つ国の一人であることでしか
自分に価値を感じられないとは、情けない話だと思う。
情け無いというよりも・・・

ウサギは、仔ウサギの頃に
この部屋に入ってはいけない、とか徹底的に教えると
そのウサギ個体は、大人になっても、この部屋に入らない。
でも、その子孫は入っちゃうかも。
猫は、仔猫の時にトイレの場所を教えると
親猫になった時、仔猫にその場所を教えるらしい。

なるほど、日本人は猫以下ウサギ並みなのか。


それにしても、どこ行ったのかなと思う。
私が子供の頃
戦争はいけないと主張していた大人の人たちは。
何をしているんだろう。
山中恒さんの名前とか、見ないなぁ。
(「アジア・太平洋戦争史」という本を出版されたらしい。
こんな高い本、買えない。)
灰谷健次郎さんの名前も、ほとんど見ないなぁ。
小学校の時の先生の名前も
高校の時の先生の名前も
どこでも、一個も見ないなぁ。
何をしているんだろう。


一番大事な事を伝えられないなら
言葉に意味なんか無いじゃないか。
いつまでも、結局暴力で物事を思うとおりにしようとするままで
これじゃ、ざりがにとか、くわがた並みじゃないか。
やたら破壊力だけ大きい武器を、その罪も認識せずに振り回す分
ざりがににも劣る。

たくさんいた筈の
戦争は繰り返してはいけない事だと言っていた大人達は
一体どこに行ったんだ。

核開発をアメリカの大統領に提言してしまった事を
一生後悔し続けたアインシュタインさんの
75歳の時ベルギーのエリザベート女王に出した手紙に
「失うもののほとんどない高齢者は
ずっと束縛を受けている若い人達の代わりに
すすんで声を上げてしかるべきだ、と信じております」
と記されてあったそうだ。
高齢者だけに押し付ける気は無いが
私は、こういう考えをしたという点で
ああ、アインシュタインさんは、本当に頭が良かったんだなぁ
と思った。
「最近の若い人たちは政治にも関心を抱かず
礼儀をわきまえず自分勝手だ。」と
平然と仰る方々に、
アインシュタインさんの言葉として
考えていただきたい。
アインシュタインさんの言葉だって知ったら
聞く気になるんでしょ。