martedì, novembre 15, 2005

無駄口

札幌の円山動物園の職員がなぜ処分されなくてはいけないのか
理解できない。
人間用に作られた食品を、人間が利用して何が悪い。
人間が消費する為に作られた商品が
たまたま成り行きで動物資料用に寄付された時
その食品の質とかが、人間用であるのに
たまたまのその場合だけにしか、飼料扱いにならないのに
それを、餌として与えてしまって
動物が、普段の餌用の餌を食べなくなったらどうするんだ?

商品価値がなくなってしまったから
無駄になるのが勿体無くて
何らかの利用方法として
動物園に寄付したなら
動物園で、有効に活用したなら
別に構わないじゃないか。

餌は、会議室で摂取されるわけではないのである。
動物にだって多分事情があると思う。
飼育係にだって
事情があると思う。
現場で物事は進むんである。
ニュースにするほどの事ではない。
職務になれている職員が
飼育係だった場合に
処分されて、その人が哀しい思いをしたり休んだり居なくなったりする事のほうが
動物にとって、面倒だと思う。
慣れている飼育係の人に世話されたいと思うだろうと思う。

更に、脱力したのは
道端に生えた大根。
この国は、大根の方が大事なのである。
戦争の事より。
暮らしに困る障害者より。
負担が増えて治療ができなくなり死ぬかもしれない患者より。

道端に生えたのがえらいんなら
たんぽぽだって、おおばこだって生えているではないか。
環境美化運動だとか言って
住人に草むしりをさせる時
抜いた草にいちいち葬式をするのか。
わけがわからん。