mercoledì, agosto 11, 2004

傾れ落ちる・・・!

国道の山崩れのニュース。
倒れていく木が、かわいそうでした。
ここまで、伸びてきて、こんなに倒れていきながら
これは驚いているだろうなぁ、痛そうだなぁと思います。
確かに、被害にあった人はいなかったことは良い事でしたが、
人工物の、人為的なもののもろさも思いました。
あの木も、植林された木材用のものかなぁ・・。

上から少しづつ少しづつひずんできたものが
どさっとなだれ落ちる様子は、大変象徴的であったと、思います。
少しづつ削れてきていた管の壁がめくれたときの蒸気の暴発も
象徴的だったと思います。
こういうままにしておくと、いつか、その日が来る、という。

勿論、原発事故は特に、象徴のへったくれの言っている場合じゃないです。
原発なのに、28年間、1,4mmまで磨り減った、
しかもあんな大きな管がそりゃないだろうと、唖然としました。
小さい部品でもだめですけど。
最初は、どうしようもない、事故かと思っていました。
なにか、防ぎようも無い、偶然のいたずらが無情に重なるような。
でも、これだと、いつかは起きることでしたね。
起きない方が、偶然のいたずらだったくらいかもしれない。
これは、経費かなんかの為に、行われた、ある種殺人だなぁと思いました。
こういう事はしない、安全点検には最大の努力をしている、大丈夫だと、
しつこいくらいに広告しているからそれを、一応信じているから
原発は容認されてきたんじゃないですかー
広告費削って、きっちり設備点検するかいっそ撤廃するか、決めて欲しい。
できれば撤廃した方がいいのかもしれない。
原発が無いと、電気代あがるんでしょうけどねぇ。
イタリアに居てた時(たかが一年未満ですが)に、
なんで電気代が小型冷蔵庫と電灯だけでこんな金額になるんじゃっ
と文句言ったら イタリア人が胸張るんですよ。
私達の国は、原発を持たないからだ。えらいだろうって。
そういわれたら、ぐうの音も出なかったですけれど
(多少たばかっていたような気もしますけれど。)
そういうえらさを、少し、日本は失ったような気がします。

自分の母親の死体を平然と運んだと言うことで、
みている者の寒気をさそった、未成年少年も今、思い出すと、
確かに、なにか感覚が麻痺してしまっていたのでしょうが
その感覚の麻痺に似たことが最近聞かれました。
原爆投下直後や、空襲を受けたあとの焼け跡で、
子供達も、死体の処理を手伝ったという話です。
目の前にころころ転がるものに、感慨を持たなくなってしまうのだそうです。
こんな状況と似たような心理現象が、普通に見える生活の中で起きるって
一体、どういうことなんでしょう。
このニュースの子供が、こうなってしまったのも
もしくは、もう、いいかげんにしてほしい北海道でまたおきた
未成年による殺害事件の人を殺すことへの麻痺も
原子力発電所で、働く人の事やその周囲・・・だけじゃない、
地球上の全ての人に及ぶかもしれない危険を
経費の為?手間を省く為?何のためか知らないけれど
どう考えても軽すぎることの為に平気で放置できる、その感覚の麻痺も
こういう毎日引きもきらず起きる事件の一つ一つが崩れ落ちる前に、
転がってくる小石のような気がしますけれどどうなんでしょうか?

北朝鮮に拉致されたひとりひとりの為に
その家族が生活の全てをかけている姿をみると
これだけ大切に思われる一人分の命もあるのになぁとおもいます。
随分とその重さに、差があると思う。
この重い方が本来のあるべき、重さだと思うのですが。