giovedì, agosto 12, 2004

テレビッコ

一枚の写真でこんな風に意見が変わるなら、
その写真を今まで見せなかった者の、怠慢ですね。
見たくないって、抗っているようには見えなかったし。
見せれば見たはずですね。

確かに、・・・うーん・・・
本当に、渋谷のハチ公の前の若者は、若者を代表しているのでしょうか?
それは、疑問なんです。
でも、確かに、若者の中に、ああいう感じの子が、多いのかもしれない。
歴史を知らない子も多いのかもしれない。
教育は、何も教えていないかもしれない。
若い者の多く?が、なんにも聞こうとしないかもしれない。
でも。でも、それでは、本当に空襲を知っている世代の人達は
そして、安保闘争の時代の”歴史を知っていた”人達は、
その多くは、今、本当に大事なことに注意を払っていますか?
せいぜいがとこ年金問題にばかり、目を奪われていませんか?
一部の、腐った大人と、自暴自棄の子達の為に
できても、しない。という責任を伴った自由が、
またひとつ全ての未成年者から奪われたような気がしますけど。
この条例が、どういう使い方も可能か、考えたりはしませんか?

AP通信は、イラク保健省当局者の話として戦闘などで11日朝以降、中部クートで約75人が死亡するなど全土で172人が死亡、643人が負傷したと伝えた

このイラクの状況、空襲を知っている見た人達は
この痛みを、知っているのに、何故、黙っているのですか?
黙っていない・・人もいるよというならば、
若いもんも、みんながなんにも言ってないわけじゃない。
聞いてはもらえないけど、言っている子もいるよ。
なんで、ヤマンバメイクな女の子達ばかりが、
若者として出てくるのかなといつも思ってる。
今井君みたいのは、ひとりじゃないよ?
10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代・・・
一握りづつかもしれないけれど、(そうなの?)
お金を介在させない人間らしい年代間の
尊敬と信頼が介在するコミュニケーションは、ちゃんとある。
橋田さんが、亡くなる前にテレビに立て続けに出演して、発言していた
若いジャーナリスト達へのフォローも、その形のひとつだと思う。
人質になってしまった若いジャーナリスト達の為に
立ち上がった、大人のジャーナリスト達の運動も忘れちゃいけないと思う。
今ピースムーヴメントにおいて、壮年の人と、若いとても若い子達が
お互いを、希望と思い、知恵を持つものと敬いながら
協力して動いていることを
そういうことは、何故テレビは伝えないのか、
私はいつもそれを歯がゆく思っています。
野球の為の300人のデモは放送されるのに
(それはそれで、ニュースでいいですけど)、
虹色の旗やホウキ((戦争)放棄)をもった穏やかな
平和を訴えるパレードから、言いがかりのようにして逮捕者が出たことは、
何故放送されないのかな、とか、
あれだけ、追っかけまわした渡邊さんが、起こした訴訟は
自衛隊のイラク撤退を訴える訴訟は
九条の会の結成は
何故、テレビから知ることができないのかな、とか
いつも思っています。
国民は、なんにもなんにも言わないって、
彼らは国民じゃないですか?
私ら国民じゃないですか?
言わないんじゃない。声を聞いてくれないんじゃないですか?

パフォーマンスでお見舞いすりゃあいいってもんじゃないだろうに。
アフガンから来た女の子に失礼だ。
話題になった映画観れば、内容はどうでもいいのか?いいのか?
戦争の、なんたるかの映画でしょ?華氏911って?
観ても、やっぱり武力行使はありですか?(そういう映画なんですか?)
そういうのだけは、報道の電波に繰り返し流されて、
辺野古の座り込みは、流れない。
イラクのバグダッドの芸術家の人達が、今年、
私達の国の被爆忌を共に悲しんでくれたことも流れない。
59年前と同じ過ちは、繰り返しちゃいけないですよ?
戦争技術も進んでいます。
痛みは、あの時より大きいものとなるような気がします。

今は、本当に、危機だと思います。
憲法九条があるから、この前文を持った憲法がある国だから
大丈夫って、思ってきたのです。
これを無くそうという動きがさくさく進んでいるのに、
それに関する事が、テレビの中に、まだまだ少なすぎる気がします。
だって、これが一番大事だと思うんです。
テレビでしつこく流されてたら、渋谷の子も、いつかは見てたですよ。
平和あってこそ、の、戦争の無い世の中でこその、いろいろでしょ?
それでこそ、すいかが売れるだの、発泡酒が売れるだの言ってられると
思うんですよ?
戦争になったら、デパ地下なんか、温泉なんか、
知るかぁっって思うんですけど。

**********つけたし

その時代を知らないし、
それなりにそうなるいきさつがあったのだろうと思うし
それなりに、その理由もあったのだろうから
知ったかぶるわけにもいかないのですが、
安保闘争って言うのは
ちょっと違ったのではないか、と思わずにはいられません。
暴力に対するのに、火炎瓶投げるとかいう暴力をもってするのは
結局、話がわからなくなってしまうし
そのやり方は、どこかずれてしまって違っちゃったのではないかと
なんとなく、知っている限りの知識においては思います。

でも、違っちゃったなりに、
それだけの事を、するだけの価値があると思って
それに及んだほどの人達が、今、黙っていられるのがわかりません。
挫折して、もう、何をやっても無駄なんだと思った世代だって
言う人もいるんですけど、
火炎瓶投げたから、話がわからなくなっちゃったんじゃないか?
と、思う。
つじつまが合わないもの。
戦争という暴力を、やめさせるために、力づくでバリゲード作って
暴力に訴えたら、矛盾してしまうもの。
だから、崩れちゃったんじゃないかと思う。
暴力は痛いから長くは続けられないでしょう。
それで、だからといって、口がなくなったわけでも
脳みそがなくなったわけでもないのに、
そこで、挫折したからと言って、
今この状況で、ほとんど積極的なまでに、
他人の言いなりに甘んじられるってわからない。

ほんとに、今、その世代の人達って
選挙の、グラフ見ると、
何をしているのかな、そんなにその世代の人達の人数って少ないのかな、
って思うんですけど、どうなっているんでしょう?
少なくとも、その人達は歴史を、
十分にきちんと勉強しているんじゃないんですかねぇ?
教育基本法が変えられそうなこととか
君が代や国歌斉唱が、強制されていることに
何故、我慢できちゃっているのでしょうか?
昔、とげとげしい大騒ぎすることを我慢できなかったのに。
とげとげしいのでないとやる気にならないのでしょうか?

つまり、現在のこの状況に対して国民が黙っている
という話があったことに関して考えていて、
この人達も国民全体に占める割合は
そんなに小さくないだろうと思ったので。