venerdì, aprile 29, 2005

技術崩壊

日本人の良い所、と聞いて、ぱっと思い浮かぶ事のひとつは
卓越した技術、神業を淡々こなす職人芸
なんですよ。
切り口が艶やかに光るお刺身とかね、
コンピューターにも不可能な、誤差の無い部品の製造とかね、
開ける時音のしないなめらかな箪笥の引き出しとかね、
どこまでも繊細で美しい螺鈿や漆とかね、虫眼鏡で見たって綺麗。

日に何千人もの人間の人の命を預かる仕事をしている人間を
「取り囲んで罵倒する、業務後に踏み台昇降をさせる
職務を停止して草むしりをさせる
などの罰を与える、再教育を行っていた」と聞いて
くらっとした。
少なくとも1人の職業を持つ人間に対して、大人がやることじゃない。
咄嗟の判断を冷静に的確に下せるかどうかは、
本人の自負心、自信にかかっていると思う。
自信がないと、突発的な事態が起きたとき
パニックを起こす。思いつくどの方法が正しいか
選ぶ自分が選べるかどうかわからないから。
1人で職務をこなさなければいけない人間の
自信をぐずぐずに崩壊させるようなやり方は
ちゃんとできている電車をわざと壊してから走らせるようなものだと思う。

職人さんが、線を一本引くとき
迷いの無いすーっとした筆運びをすると思うわけですよ。
この迷いの無さは、自信なわけですよ。
それができないと本当の仕事はさせてもらえない、
ってもんだったんじゃないんですか?
まずは、勉強する事が仕事で。

暴論かもしれませんが(いつもの事ですが)
国鉄を民営化させたのが、原因なんじゃないか?
正常に安全に運営されなければならない社会に不可欠なサービスに
利潤を追求しなければならないという重荷を課して
なおかつ、寄生虫がついたまま
市場競争の中に放り込んだから
こんなことになったんじゃないか?
市場の競争の方も、それによって厳しさを増したでしょうし。
利用者を争奪するために、切り捨てた、大事な部分があったのでは
ないでしょうか?
違うかなぁ。

たくさんの、ベテランの国鉄鉄道員を配置換えしたり退職させたりしたから
その技術が受け継がれずに、途絶えたという事は無いのだろか?
経費削減の為に人員を整理したから
運転手でも昔は2人居た所を1人に削らなくてはならなくなって
新しい人たちに、神業が伝わらなくなった、という事は無いのか?
見習う、という事があるでしょ。

借金のかたに
公的機関を民営化するのは
借金のかたに子供を売るような感覚と似ている。

今回の事件
はじめ、ただ、悲しむ遺族に躊躇無く無神経にインタビューされる映像が怖くて
まともに観れなかったんだけれども
感じるのも悲しいだけで、私の悲しいのなんか
当事者の悲しいのに比べたら、何でも無いから何も言葉にならなかったけれども
日が経つにつれていろいろ他の事も伝えられるようになって
やっぱりこれは、
どうしても起きてしまう交通事故とは、違う
他の人を侮辱する人の無神経さによるものなんじゃないかと
思えてきました。なんとなく。

踏み台昇降したら
なんで、遅れが無くなると思うのか。
その根拠がわからない。
脅かせば萎縮するだけじゃないか。
だけど、それだけ思考力も人間性も損なわれるほど
一人一人に鬱憤が溜まっているという事で
それで、得をしている一握りの人間も
多分、どっかにいそうな気がする。
{!!!!!!!!!!!!}
ここ↑、ここの人