venerdì, maggio 06, 2005

現実問題

仮に「北朝鮮が攻撃してこない」
と思うのが、なめてかかっている態度だとして、
なめてはいけないのだから、北朝鮮の攻撃に備えて、戦力を保持すれば
北朝鮮は、攻撃してこないかというと
攻撃する気があるなら、どうであれ攻撃してくると思う。
核ミサイル一個をとってみても、
日本にそれを向けて撃ち込んで爆破させたら
こんなに近い北朝鮮にその核の影響が及ばないはずは無いけれども
それでも核ミサイルを本当に発射する気があると思うのであれば
そういう事に気が回らない、という事で
それならば、いかに日本が戦力を強めても
それだから攻撃をやめようなどという論理展開もしないと、私は思う。

抑止力としての戦力と、よく聞くけれど
かなわないと思わせるための軍備の整備の必要という事が言われるけれど、
かなうと思えば攻撃してくるような国は
かなわないと思ったら、かなうように更に自国の戦力を高めて
結局、攻撃してくると思う。
自国の人々の状態を犠牲にして。ますます、飢える人が増えて。
それに対抗して日本も軍備を増強し続けるつもりなのだろか。
軍備を提供する企業は儲かるだろうが
それを買うのに使う税金は、福祉を削って回されるのではないだろか。
現実問題、人は必ず年齢を重ねる。
事故や災害も、必ず起きる。
そういった事のケアをないがしろにして、もしもに備えるわけ?

もしも、
で考えるならば
北朝鮮に侵略されて思想弾圧、民間人の統制をされるにしても
日本の政府が、民間人の思想弾圧や民間人の統制をするにしても、
される民間人にとっては、たいした違いは無いと私は思う。
今の日本は戦時中とは違うと言われますが
実際のところ、ドイツなどと違い
戦時中に日本の支配層に居た人々や、その子孫は
今も世襲されて、その辺に残っているっぽい。
考え方も、世襲されている可能性はあると思う。
第二次世界大戦中、日本の支配層がした事を考えれば
どっちにしても、一般市民が被るかもしれないことは
そう、楽しい事じゃない事は想像がつく。
他国に侵略されても、自国政府に統制されても
統制される事に変わりは無いなら
侵略によるものの方が
それ以外の国際社会からの微弱にしろ経済的な圧力や、なんらかの働きかけ
国連などの、勧告があるかもしれないと思えるだけ
まだほんの少しだけまし。
自国の政府が民間人に対して、高圧的になり
思想を統制したり、行動を監視したり、人々を弾圧した場合
それを選んだ国民も悪いという事で
上からもアメリカ軍から空爆されるかもしれないし
ろくな事はありません。イラクみたいに。
ワタクシには政府が悪いから、民間人が殺されて当然という理屈は
さっぱりわからないけれど
政府が悪くても、人々が殺される理由にはならない
という事を、世界中の権力ある人々は
さっぱりわかってくれない。
アメリカだけじゃなくて。さ。
じゃなかったら、何故イラク攻撃を
国連はもっと真剣に止めなかったのか。
何故、”多国籍軍”がイラクに駐留してるのか。
多国籍な、”エライ人々”は、エラくえらくなっちゃっているので
自分が大丈夫なら、他の犠牲については、知ったことではないようだ。
エライこっちゃ。

攻撃されれば、戦力でそれに対抗できるようになるという事は
攻撃されれば、確実に即、戦争状態になる事ができるという事。
戦争状態になってしまえば
もう、どこがどうでも、戦場となった国民にとっては同じ事。

だから、まず戦争をしないことを前提に置き
それを実行化するために戦力も保持せずに、平和主義国家、
非武装国家である事を、宣言した方が
同じように危険であっても
外交努力も切羽詰って真剣に行われるであろうし
まだ、安心ができると思う。
非武装地帯は、攻撃された場合
攻撃した方が国際法上、絶対的に悪い、事になりますが
武装していれば、両成敗にされてしまう事もあると思う。
他国からの抑止する働きかけも、どちらがより堂々とできるか
日本も悪いのではないか、という声が上がるような場合
イラクのような状況になるという事を
見ればわかるのではないかと思うのだけど。

北朝鮮が攻撃してくるという事は、想定、で、もしも、ですが
日本政府が、少しづつ国民の上に立つもの、
支配するものに変わってきているのは
現実です。
ここ数年でどれだけの「しちゃいけない」が増えたか。
与党の憲法草案にどれだけの「しなければいけない」が書き込まれているか。
もしもよりも、現実問題の火の粉を、火の粉のうちに食い止める方が
より、現実的なのではないかと
私は思う。