lunedì, maggio 09, 2005

不謹慎

なるほど、テレビは新しい生贄羊を見つけたのか。
事故当日、後日、プライベートで親睦を深めていたJR職員も
不謹慎というなら、不謹慎かもしれないが
悲しむ遺族と、犠牲者がどのような方だったかをさんざん放映した直後に
にっこり笑って「では、次は話題のくじら君です。
ゴールデンウィークもたけなわ、大勢の家族連れが 云々」
は、不謹慎じゃないのか。

職員というのが、どういう職員なのかまでよく知らないけれど
「明日は我が身かもしれない」
「整備もできていない電車を、3時間ぶっ続けで運転させられて
一秒の正確さを求められ、失敗すればいじめられる。
神経ぎりぎりで、一歩間違えれば大惨事を起こすのが自分かもしれない」
飲まなきゃやってらんない程の不安感っていうのは、
そういう事は絶対に無いのだろうか。
そんな仕事の人なら、飲んだら飲んだで、リスクは高まるかもしれないが。

JR西日本職員だと不謹慎で、JR東日本ならどうなんだろ。
JR東海は?私鉄は?その間中ミスが連発されている飛行機は?
境界線はどこだ?日本中謹慎すべきだったか?
そんな中、日本国民が選出した政府が決断して
お金も旗もブーツも見せて支援している米軍がイラク西部アンバー州で
掃討作戦を強化”武装勢力”を75人近く殺害
イラクでは4月28日からの10日間だけで300人を越える犠牲者が出ているそうだ。
100人亡くなれば、100人分に
その家族達、友人達それぞれが耐えられないほどに悲しい。
300人亡くなれば、それが戦場であれ、
亡くなった事悲しい事に変わりは無い、と
思うのだけど、違うのだろうか?
戦争で亡くなるのは悲しくない?まさか。
戦場に生まれた自己責任って言うのかって
もう何度も思うんだけど。

戦力は何の為の物、
人を殺す為の道具。
抑止力として、という所から所持を始めても
持っている限りは、使えるという事。
人が死ぬ結果を生むものを、持っているという事に
人が死ぬ哀しみを知っている人が、耐えられるのだろうか。
何故。