lunedì, maggio 16, 2005

りべるてっ

私の大部分は、多分、童話でできている。
私の根幹は、童話だと思う。
童話をなめちゃあ、いけないよ。
童話は、大人が子供に対して、めいっぱい格好をつけ
体裁を繕い、あらんかぎり誠実になろうと努力して
理想と夢に希望を託して、ほとんど恥ずかしげも無いくらいに
真剣に書くものだと思う。
(そうでない場合も、あるだろうけれど。それはこの際例外)
まっすぐなので、幹にしやすい。

自由というのは
汝の欲する事をなせ
であると、
果てしない物語に書いてあった。
直接じゃないかもしれないけれど
私はそう書いてあったと思った。
汝の欲する事をなせっていうのは、
その結果も含めて全てがその人のやりたいと思うことかどうか
を判断し、(対象がある場合は対象にどのような影響を与えるかも含め)
そのうえで、善いと思うこと、自分がそうでありたいと思うことを
するという事だと思う。

その意思は、その人に自分を制御できる限りの範囲において
その人の良心や想いに託されるものであると思う。
限界は、限界ぎりぎりに設定されているべきだと思う。

他人を守ることを、”全国民の責任や義務”にするのはおかしい。
国に、それを義務付ける権利は無いと思う。
個人でも、それを別の誰か個人に強制したり義務付けたりする
権利は無いと思う。望むのも願うのも頼むのもできるけれど。

今またむしかえすけれど、
イラクで邦人民間人が人質になったときに
(この場合、元)官房長官としては、救出の為には、相手の要求を即座に
「必要ない」などと無碍に拒否したりせず
あらゆる外交手段を講ずるべきだったと思うが
福田康夫さん個人が、もし「むしがすかないから、助けたくない」
と考えたなら(私の勘、もしくは独断、そしてあくまで”if”)
人間としてひどいなぁと思うけれど
個人に対し、この考えを強制的に禁止する事はできないので
考えをどうしても尊重したいなら、公的な職務を辞するべきだったし、
国家公務員という職務に徹するなら、考えを優先すべきではなかったと思う。

人は、自分が一番大切なものを一番大切にする権利があると思う。
自分が一番大切なものが何かという事を、自分自身で選ぶ権利もあると思う。
民主主義国家は、その個人の良心による選択の権利を認め
尊重し保障するから民主と自称できるのだと思う。
本来はっ。