sabato, maggio 28, 2005

戦争犠牲者

イラク戦争の7人目の日本人犠牲者が出たようだ。

崖崩れが起きる前、ぱらぱらと小石が転がってくる、という。
終戦後60年、またぱらぱらと戦争で亡くなる人が出てきた。
崩れるのだろうか?

そうはいっても、というかすかな期待のようなものもあったわけだけど
現実は、やっぱり、恐れていた想像通りかもしれない。
表立っては、見えなくても、水面下では救出交渉みたいなのが
行われるものなのじゃないかと思うところもあったのだけど
現実は表立って見えるままに
郵政民営化や、靖国神社への参拝に固執してそれを続ける為の詭弁
そういう事で、エラい人々の頭はいっぱいだったわけだ。
下々の者には関心ござらん。
これが、この国の国民が選挙で選んだ代表者の方々でした。やっぱり。

今現在、家族や友人がイラクに派遣されていて
その無事を願っている人は、本気で状況を直視した方が良いような気がする。
本当に強く思う人が言葉にしないと、事はなし崩しに進められるし
本当に大事に思う人が、それを言葉にしないでいたら
誰も、戦地で働かされているその誰かの無事の為に動く人はいないままになる。
本来は、それが職務の人が居るはずなんだけど、
お金に替えられるものと思われている。
後から追悼すればいいものと思われている。
目の前にいて欲しい人が、目の前にいて欲しいと、
そう思っている本人は言わないままでいていいのだろうか。自由だけど。
板だの紙になった存在は、もう、何もしゃべらないよ。

でも、設備維持とかで出向させられるような人は
秘密義務があって家族とかにも赴任先を告げられなかったりするのかもしれない。
外国から派遣されてくる武器を持った部隊のための施設の、設備維持だったら
地元の人達は、友達とみなしてくれるだろうか?
何故だかわからないけれど帰ってこない、なんて、事になるのだろうか。

無事を祈るならば
今無事なうちに、帰ってきてもらうのが、一番良いと思う。
取り返しのつかないことっていうのがある。