sabato, giugno 18, 2005

無能の人

2週間位前ネパールでのエイズを患った人たちに対する支援のレポートを観た。
あの活動をしているのって、どういう人達だったんだろうって思って
検索かけて、めつけた。
http://www.laligurans.org/index.htm

このような場所でも、同じ日本で生まれた人達による
必要とされている支援活動が行われている事を知って嬉しく思った。
必要としている人されている人双方の為に、
そして、実際に自分がそこに行くことができない分
そこに気持ちを託しているという思いもあって、
なんとかして、この地道で確実な助けが、続けられていく事を願って止まない。
日本人の人の中からも、国内の知らない人は知らないけれど
本当に世界中のたくさんの場所で頑張っている人が出ているのだなぁと、
こういう機会に知る事ができる度に驚く。
活動をしている人達は、それが目的ではないわけだけども
それでも、この方々のおかげで培われてきた日本の立場、日本観というものが
あるだろうなと思う。
イラクでのNGOやNPOの活動の事も、人質事件以前はあまり知らなかった。
知らなかったのは、多分私だけじゃないと思うけれどどうなんだろう。
もし、もっとずっと前から、普通に一般の人たちにこのように、直に接して
地元の人々に溶け込んで友達として必要な支援をする活動が続けられている事が
広く知られていたなら、そこに武装をした軍隊のような形での派遣がされる事で
それまで築いたものが壊れてしまうという事が知られていたなら
自衛隊の派遣についても、もう少し違った結果が出たかもしれないと思う。
現地に赴いて、薬を運んだり、ビーズ細工を教えたり、施設を運営している人たちは
その仕事があるわけだから、そのうえ日本の国内においての活動の報告などまで
やらなくてはいけないのは、今更書くけど、大変だ。
人一人にできる事は、どんなに、”デキル人”でも、限界があると思う。
だから、そこで実際に活動できないここに居る私達の方から、
こちらから知ろうとしなければならないだろうし
また、日本の国内に居るのだから、海外の情報の届きにくい所でのその活動が
少しでもスムーズに進められるように、
政府の方針による副作用で停止に追い込まれたりならないように、
見ていなければいけないのだろうなと思う。
だからっつって、自分で世界中回って見てくるわけには行かないのだから
やっぱり、そこは、報道によって
実際に、何か起きた時だけでなく、日常的に、
どこでどんな事がされているか普段から、
知らされていることが必要なのだと思う。
テレビからの目で観る、印象に残りやすい既存の知識が事前にあったなら、
ネパールで、議員が次々自宅軟禁みたいになって、
国王が政権を強行的に把握したりしたニュースも
違ったものに見えていたような気がする。
それによって、どういう影響がどういうところに及ぶのか、想像ができるから。
チェチェンでもウズベキスタンでも、事件起きました、と突然いわれても、
それがどういう意味を持つのか実感としてよくわからない。
こういう事も、ニュースを伝えるという技のひとつかな、と思ったりする。

とにかく、本当に、何にも知らないわ。私。
だけどさぁ、ずーっとニュース番組やインターネットに
へんばりついてるわけにもいかないしさぁ。
(結局 怠け者〆)