mercoledì, giugno 08, 2005

神経花火

能動的に、人々を先導して情報を操作し軍隊を指揮した人間だけに
戦争の責任を問うのでは、良くない、
見たくない物を直視せずに、強い力のせいにして、
半ば積極的に騙されて盲進したのだから、一般の民衆にも、責任はあると言う。
んあー、
そうかもしれないけれども、
だけども、
その中でも、言論を統制されたり、様々な形での圧力を受けながらも
自分の信じること、戦争をするべきではないということを
言い続けた人も、言った人も、口には出さなくても、
その自分の良心からの意思に反する行いはできなかった人も
この”民衆”のなかには、居たはずと思う。
公衆の面前で、演説するわけじゃなくても、
自分の子供にだけは嘘を教えなかった人や
たくさんの先生の中には、その後どのような目にあうか覚悟しながら
言わなければいけないと思うことは、子供達に伝えようとした
”お国の為に死ぬ美徳”なんて、そのような洗脳をされてはいけないと
伝わったかどうかは別として伝えようとした人も居たと思う。
後で、拷問を受けたなり、収容されて強制労働だなんだで、
転向とかさせられて、言う事を変えさせられた人でも
一生の中では、言うべき事を言った事もあった人は、
その後にどのような事を言わざるを得なくなったとしても
言うべき事を言った事があるという事実は、損なわれる事は無いと思う。
少しでも反発した人は、一般の”民衆”の中に、1人じゃなく居たと思う。
その人たちの力が及ばなかった事は、罪か?
その人たちが、力を尽くしても、戦争を避けることができなかった事は、
その人たちの責任か?

できないという事は罪か?
力が及ばないという事に、責任は負わされるものか?

1人ないしは数人、変な人が居たとしても
ついていく人が居なければ、戦争はできないのだから
ついてゆく人に、責任は無いとは言えないけれど
でもさぁ、やっぱり、まず先頭に立って権力の暴力を使って
戦争に突き進んだら、いけないよあぁ。
間違った方向に進む指導者に、無責任についてゆく人の罪は、そう軽くは無いけれど
間違った方向に進む指導者が居なければ
無責任についていく人なんてのは、無責任なんだから
自分から何もできないのだから
この人々だけじゃ戦争にはならないはずなんだよなぁ。
2つ揃わないと。ついてゆく方と率いる方と。
ついていく方も悪いが、勿論、率いる方にも、歴然とした重い罪があると思う。

で、
力が及ばなかった、のは、どうなんだろう。
だめだった、っていうのは、罪なのかな。罪なのかな。
じょうだんじゃないよな。
損した上に、
日和見して強い方についておこうと巧くたちまわろうとした人と
同じ罪負わされたら、たまんないよな。

ところで、
枕元にたまねぎ置くって、ゴキブリ出そうでちょっとやりたくない。
ラベンダーとかカモミールとか、ぜんぜん効かない。効いた事ない。
眠れない。眠りが浅い。眠れたかと思うとすぐ目が覚める。神経ちりっちり。
こういう時は、あんまし考えない方がいいんだけど。
何書くかわかんないし。
何書いてるのか、よくわからないし。