lunedì, luglio 04, 2005

叉状脈・・・かも

どうしよっかな。

両方、全て、責任を負っているんだよ。
だから、こうなっているんだよ。
大いに自戒も含めつつ痛感している。
排他的で、正しい主張をしている側であるから全て正しい
と信じて疑う事が無く
”正しい自分”が、他に対して間違っていると決めた場合は
それは絶対間違いだと、信じて疑う事が無く
間違っていると、”正しい自分”が判断した相手に対しては
何をしても構わないと信じて疑う事が無く
間違っている事に対しては
どういう対応をしても構わない、と
信じて疑う事が無いその為に
結果、逆効果を生む事をする場合があり
自覚していようといまいと
悪気があろうと無かろうと
その点において
罪は作られたのだと、私は、思う。
だから、責任があるんだよ。
頑張ったものだけは許される、というものではない、と思う。
頑張り方にさえ、求められるものがあるのだろう。
難儀。
なかなか、人間完璧にはなれないわさ。
でも、だからって開き直って己だけを免罪してもいかんのだろう。
難儀。
じゃあ、どうしたらいいのさと思うが
迷う事が必要なんだと、いうわけなんだろうと、
思ったりしつつ、それ以前に私は既に迷いきっている。

何もしなくていいわけじゃないが
目の前を見ずに、仰ぎ見るものだけを見て進むのも
きっと、何がしかの、望んでいるのとは逆の結果を生んでしまう事がある。

水はさしたくないから
これだけまわりくどいことになっているが
って、これでも、今回はかなり、直線を目指したいつもりなのだが

戦争が始まる前に
戦争の最中に
戦争に反対して、その為に散っていった人の多くにも
その人を、個人的に良く知っているわけでも
話した事があるわけでも
友達だったわけでもない以上
どこが、なのかは、よくわからないが
きっと何かがあったのだと思う。
周囲にあわせて、従順に、煽られるままに流れに従った人が背負った罪と同じように
何か背負った何かが、あるんだよ、多分。
そして、そのような事も含めた様々な要因が合わさって戦争は起きてしまった
あのような結果にまで堕ちるに至ってしまったと。
だから、現在のいわゆる”右傾化”にも
やっぱり、この国 全て の人が、それぞれに負っている責任があって
責任も罪も免れる事は無いのだろうと、私は思う。

このまま、もしまた同じような道を進むのであれば
越えて越えた先に、
(現在の人間の破壊する為の技術力を鑑みると
もう、無くなるのかもしれないが)まだ運良く未来があったとして
その未来の人々に、私達が、受け渡される重さに
更に私達が、そのうえにまた、重みを加えて受け渡してもいいのだろうか。
今だって充分耐え難いぐらいに重いのだが。

変わらなきゃも変わらなきゃだが
変わらなきゃ、も、変わらなきゃな部分があるきゃもにゃ もにゃもにゃ


てすとなんてのは、いそぐたびではござらんから、もういい、ちっとも集中できない