domenica, luglio 03, 2005

素朴な疑問

他国を攻撃しないとならないまでに
せっぱつまった国家が
「相手国の武装防衛は充実しており
到底かなうわけはないから、やめておこう」
などという冷静な判断はできないという事は
真珠湾攻撃を仕掛けた日本なら
よくわかるはずだと思うのだが。

指揮する側というのは
自分が砕け散るわけではないから
砕け散る美学の、美しい所だけに
酔うことが、できたりするものなのではなかろうか。

独裁化した国が、誰かの、もしくは、何人かの人間の判断で
”独裁”する場合
”独裁”する人間は、
「指揮する人間が残らなければ」という理屈により
本人自ら砕け散ろうとはしない、と思うな。

である以上、
相手国がいかに戦力を充実させても
国としては、砕け散りに来るんじゃないかな。
だけど、
相手国に、
いじめないよ、何がしたいんだ、理の通る事なのであれば
一緒に考えようではないか、と
真っ向”きれいごと”で、しつこくしつこく相手されれば
調子が狂って、士気が萎えるという事も
ないではないかもしれない。
砕け散らされる立場の人は、特に。
指揮者にしても、誰だって、面倒が少ないですめば
それに越した事は無いはずだと思う。

交流ができるようになってしまい
人同士が、どんどん一緒に物事を進めるようになってしまえば
拉致されたような人だって、
どこかで、見かける機会も、増えないか?
どんなに隠されていても、どこかにいるならば
どこにでも、出入りできるようになってくる中で
「みつけたから、連れて帰るね」っていう事も
可能になるかもしれないなんてことは、絶対無理なのでしょうか。
無理かな。そうかも。まぁ、想像として。