venerdì, luglio 01, 2005

貢君の責任

Baghdad burning 更新

確かに報道において割かれる時間は少ないけれど、それでも、取得可能な情報がありながら
戦争を支持し続ける日本政府を放置できる日本のヒトビトを棚に上げて思う。

アメリカは、何故にまだ戦争を止めないんだろう。
あれだけ大きな国のあれだけたくさんの人口、人数の人は
何人居るのかわからないが
アメリカ政府に対して、本当に、微力でしかないわけなんだろうか?
民主主義の国アメリカの国民の持っている権利も、随分、粗末だと思わずには居られない。

だってさぁ、そりゃ、そうだよ。
イラクの人の事を、まったく考えられない自国中心主義なのだとしても、
911で亡くなったアメリカ人の数と
その報復の為にアフガニスタンやイラク戦争での戦闘で実際に亡くなったアメリカ兵士の数と
どっちが、多いか、考えたらわかるはずだよ。
しかも、亡くなるまでの苦しみや悲しみに耐える時間の長さだって
亡くならずに帰国できた人の、背負わされた、
これから先ずっと抱えなければならなくなった問題にしたって
いくら、情報が圧力を受けているとはいえ
考える事を、避けて避けられるような事ではなくなっている筈だと思うよ。

911に対しては、あれだけの憤りをもって
罪の無い人達まで、傷つけ殺害しまくる事を容認するだけの怒りにかられた人々が
同じ同胞の人々が、これだけたくさん政府によって”殺害”されている事を
許していられるのは、何故だ?
イラクに送らなければ、戦死しないですんだ人々を
これだけたくさん失って、
しかも、彼等を戦地へ送った指導者は、平然としている事を
アメリカの人たちは、どのように見ているんだろう。
(ひゃあーとか歓声を上げながら紙ふぶきを飛ばしているのが、
全てではないはずなんだけど)

戦争は、イラクの人達に何をもたらしたか
世界中のたくさんの人が、それが、”自由”ではない事を
よーーーーーーく知っていると思う。
世界中のたくさんの人が、それを知っているという事を
アメリカの人の中にも、知っている人は少なくない・・・と思う。多分。

さて、棚の上に上げたモノですが。
そんなアメリカに誰がした、と。
アメリカの人だけの、責任か、と。
何処かが、お金出したよね、支えにもなったよね、と。

少なくとも、今後これ以上の事をできるようになっていいのか、と。
思いつつ、