martedì, giugno 28, 2005

mottainai

戦争が好きなわけではない、と明言していて
健康被害が、ある”かもしれない”ことは認めながら
「健康被害が、絶対にあるという科学的立証ができていないのに
劣化ウラン弾を使うべきではないと主張するのはおかしい」
という内容について延々と書き連ねるのは
何故なんだろう。
遺伝子への悪影響や癌の発生がある”かもしれない”し
被爆というものは、レントゲン写真でさえ状態によっては
撮影しない方が良いという事になっている以上、
無条件にその場所を被爆させるような兵器を使えば
それが、核汚染を直接目的とするものであろうと
目的は破壊だけれど、副作用として核汚染もさせるものだろうと
そこに居る人にも、その土地にも核汚染がもたらされる事に違いはないと思うんだけど。
で、結論として、どっちにしろ劣化ウラン弾は使わない方が良いという自論を持っているなら
その、かもしれない、と、である、の違いにそこまでこだわって、
論文や技術面での議論をする専門家、研究者や科学者でもない人間に
説明を求めたり、話し相手になることを強要するのは
何故なんだろう。

戦争は好きではないが
口げんか、というか、ネットでのけんかが、好き。
なのであれば、
このような、人間の命や、生まれてくる人の状態に
大きな悪影響を及ぼすしゃれにならない主題においての
言葉の使い方という主題ではなくて
もう少し、どうでもいい事で遊んでいたらいいのになぁと思う。
なんか、あるじゃん、
つちのこは居るのかどうかとか
徳川埋蔵金はどこにあるのかないのかとか、
小難しげにもできそうで、罪の無い話題が。

で、結局、
要するに、なんらかの偏見でくくったくくりの中の一員であると決めた人に対する
反感から、けんかふっかけているだけなんかなぁ
って思ってしまう。
濃度が何ミリグラムだの
実験結果の報告に絶対的な信頼性があるかどうかだの
そういう話ばかりがされていれば
そりゃ、うひゃあ、もうどうでもいいです、難しい話はわかりません。
という人間が増えるのも道理ですから、
戦力による防衛が必要か否か
イラクに対する武力攻撃というアメリカ政府の決断は正しかったかどうか
それが正義の戦いである、という主張に従った事は
正しかったかどうか
戦力を保持する事、軍事による防衛や攻撃
イラク戦争はして良かったかどうか、
今後、戦争に参加できる可能性を作る事は良いかどうか
そういった事について、考える人が減るのも、道理ですし
で、考える人が減った為に、考える人の全体量の中での、
戦争や武力の充実を行う事によって得をする人間の、割合が増えたのも道理でなわけで
得をする以上、いけいけどんどんになっちゃったのも
道理で、と思うわけです。
戦争が好きではないという言葉が、本当で、
戦争を望まないのであれば
戦争にならない方法を考えるはずだろうし
戦争にならない為の行動(書き込むとか主張するとかも含め)をすればいいのに。
戦争が嫌なら
わざわざ戦争にならない為に何かしている人の邪魔をしなくてもいいじゃないか。
意味があるとかないとかは、後にならないとわからないよ。
それぞれが、それぞれなりに、それぞれの方法を必死で考えているんだよ。

劣化ウラン弾を使用しなくても
代替の兵器を使って、結局攻撃目標の場所に
ひどい被害をもたらすのであれば、
ひどい被害をもたらす事は、同じだと思う。
その被害内容、生まれてきた子供に指が無かったのは
劣化ウラン弾によるものか、それ以外の要因によるものか
劣化ウラン弾というものがもたらす被害の、正確な詳細が
科学的な所の関心により、とにかく知りたくてたまらないなら、
ドラコビッチさんとかに、直接訊けばいいのに。
英語も堪能そうな人が多いし。

大事なのは
戦争が起きてから、核による影響と思われる被害が増えた、という事実だと思う。
戦争によって起きた事は、何か、だと思う。
その映像は信じたくない悲しいものだけれども、
残念ながら、現在の特殊映像技術は、
まだあのような悲しい事を創り上げられないと思う。
全部嘘だったら、どんなに良いかと思うけれど
被害者と伝えられる人々が、本当は、そんな目にあっていないのだとしたら
どんなに良いかと思うけれど。
そうでは、ない、よなぁ・・・。
もし、被害を受けたとする彼ら彼女等の存在と証言が信じられないのであれば
イラクは今、普通の人が直接行って確かめるわけに行かないから
アメリカへ行って、兵隊としてイラクへ赴いた為に
このような結果を招いた、と主張する人に会うのが良いと思う。
他人が取材したものである事を理由に、
信じる事ができないなら、しょうがない、自分で見るしかない。
経済的な問題であれなんであれ、個人の事情でも
それが不可能であるのなら、
「そうかもしれない可能性はあるけれど
科学的立証ができないから、そうではないかもしれない」というこんぐらがった主張は、
しない方が良いと思う。
もし万が一劣化ウラン弾による被害が
そこまで大きくないものだったとして、過大評価していた場合と
実際の劣化ウラン弾がもたらすものは、そこが戦場である為に、情報が集めにくいわけだし
今伝えられているものより、更にひどいものだった場合を比較して
リスクが大きいのは、どちらよ。
もし、少なくとも伝えられている情報程度の事実だった時でも、
「そうではない”かもしれない”から伝えるべきじゃない、」と主張しちゃった人は、
結果の責任を負いきれない。1人の人間が背負いきれるものじゃない。

意見だの価値観だのを押し付けられる事が、苦痛で
嫌な思い出があって、嫌な思い出を与えた加害者と
似ている考え方を持っている人なら誰でも
攻撃対象にするまでに忘れられないような傷をつけられたのだとしたら、
大人に対して、大人であるという理由だけで
子供への対応の完璧さを求めて(まぁ、大人も完璧とは行かずとも
子供に相対するときは気をつける必要が多少あるだろ、と思う)
それが裏切られた時の気持ちに固執せざるを得ないのだとしたら、
少なくとも、自分が大人になった今
価値観の押し付けどころではない、
戦争による被害が、今戦場にいる子供に押し付けられている事を
容認するような大人にならないでほしいよ。

悪い印象を刻み付けられたのが、子供の頃じゃなく大人になってからなのだとしたら
大人なんだから、主張とそれを主張する人間との間を区別するくらいできてほしい。
理性的で思考力がある場合、だけでなく、
私みたいなすっとこどっこいでも、わかる事なのである以上
どんな人であっても、その主張をする可能性は、ある。
雪を触って冷たい、という人間が、全員、
優しさと知性と正義にあふれる真実一路で性格の良い人間であるとは限らない。
どんな人でも、冷たいから冷たいと言うんだと思う。
それを、その中の誰かが気に入らないからって
同じ意見になるのが嫌で、意地でも冷たいと言えない人ってのは・・・・
面白いけどね。話が雪の冷たさについてなら。

それにしても、つくづく思うのは
「むつかしいことは、わかんない、かんがえたくない、多い方についとく」
という人に、考えるきっかけを得てもらおうとするのは、本当にとっても難しいが
ここまでの専門知識や、情報を集めようという気力
自分の理屈を組み立てようとする興味や関心を持った人達が
「意地でも、この系統には、賛成したくない。」
という思いを、与えられてしまったことで
本来なら、自然に持っていたはずの
個人を尊重し、自由である事が認められる社会を求める気持ちが、
はからずも奪われてしまった事は
かなり、もったいなかったかもしれない。
この人たちが、本気で、武力によって人が被害を受けないですむ為に
戦力や、軍事力による相互抑止ではない、平和を保つ為の方法を考え出す為に
その脳みそを使ってくれたなら、
もうちょっと事態はましな方向にあるのじゃなかろうか。

ああ、脳みそが勿体無い。