mercoledì, giugno 29, 2005

適材適所

それとも、
戦争を好きではないから、戦争にならないための働きの一環として
どこの部分で納得がいかないのかという疑問点を示す事で、反証がされてゆき、
考え方の組み立てとして層が厚くなるから、良いのだろうか。
そうなのかも(煮詰まってます煮詰まってます)。
よく考えてみたら、せっかく今興味を持ったのに、それを捨てて
徳川埋蔵金やレッサーパンダにかまけてもらっても、それはそれで多分良くない。
遊びでも何でも、考えない人よりは考えている分、取り付く島があると思った以上
それは、長所であり、やめれと思うのは、間違っている。
しかし、そうなのであれば、
やっぱり、その分野(劣化ウラン弾なら核についての科学的研究)を専門としている
自分の疑問を、解決できそうな人に質問し
その答えを自分が理解できた方法で、足りない所へ補う、というのが、順当なんじゃないだろうか。
(焦げてきています)。
しつこく一定箇所、一定個人に食い下がるっていうのは、
どちらかというと、自分の疑問を解決したいというよりは
相手個人に対する執着のようにも見えてしまう。
疑問があるなら自分の疑問を、解決できる相手かどうか、判断して取捨選択すればいいのに。
必要な情報を、情報が提供されている場所で得る方が早い。
自分が解決できたら、情報としてわかりやすく二次提供する側にもなってほしい。




なんだかどうでもいい事になってきちゃった。

テスト勉強しなくちゃいけないんだけど・・・
しないね。