日本の防衛
軍隊による防衛の無いまま、アメリカに逆らって、
他国から攻撃されたときにどうするのか、
について、私なりに考えてみる。
まず、どこの国が攻撃してくるだろうかという問題。
とりあえず、北朝鮮なのかなぁ?
ソ連が、あれだけの核弾頭を備えていた時代にも、今ほどそれを脅威としなかった以上
核爆弾にしてもあるのかないのかさえ、定かとはいえない北朝鮮がそれほどに脅威とされている事に
メディアの、現在進行形の罪という部分があるような気がする。
とりあえず北朝鮮だと仮定して、
まず、第一に、いわゆる
軍備を充実させ、武装による防衛が、強固なものであった場合
攻撃しようという国は、「かなわないから、やめよう」と攻撃を中止するだろうという
抑止としての理屈が示されますけれども
それこそ、日本だって真珠湾に、あれだけ強そうなアメリカに向かって、
突っ込んでいったではないか、
その国家のいよいよという場合の心理こそ、日本が記憶していてよく知っている事じゃないか
攻撃をしようという国が、そういう冷静な判断をしない事は、わかるじゃないか、と
思うんですが、何故か、あまりそのような反論は聞かないんですが、何故なんだろう
どっか間違っているのかも。どこなんだろう。
それとも、既にさんざん言われているのに、たまたま私が知らないのかも。そうかも。
で、日本の国として自前でそのような軍備をしないと定めた今の状態だからこそ
アメリカに逆らうわけにはいかなくなっているという訳で、アメリカに
毅然とした態度ができないのだと、いう説がありますけれども
アメリカに逆らって、アメリカが、”守らなくなった”状態になると
攻めてくる国って、どこなんでしょう?
北朝鮮が、日本に対してむかついているのは、日本がアメリカの基地を内包していて
アメリカがそこから、北朝鮮を攻撃するのではないかと、
思う部分があるからかもしれないような気もするし、
中国にしても、現在の国際的な立場で、今、日本という国が無防備になったからといって
攻撃して、想像される国際的な地位の面でのリスクをおしてまで、攻撃しないような気がする。
そういう判断は、できると思う。
日本を攻撃する為の口実を、日本が提供しないでいる限りは。圧迫したり、脅かしたり。
それは、中国ではなくても良いのですが
戦後60年、生き残った日本人は、ぼさっとしていたわけではなくて
多少やりすぎの感もあるくらい、いろいろなものを犠牲にして
がむしゃらに頑張って築いてきたものがあるからだと私は思う。
日本の技術でなくては作れないもの、日本の育てた頭脳でなければ研究できないもの
日本の情緒でなければできないもの(アニメとかも)が、あると思う。
アメリカのような、政府の強い力や、ひたすらの押さえつける圧力ではない
日本人個人達の、築いてきたもの、
技術や医療などの研究だけではなくて、
各国での、企業による仕事の中での交流、個人が渡航して築いた交流
近年では、地道に進められてきた
それこそ、イラクで支援活動をしていた人や
アフガニスタンで支援活動をしている人や
旧ソ連の小さい国で、アフリカで、ネパールで、様々な国で
個人の人が、それを目的とも意識してでもないのだけれども
地元の個人に対して、日本の人に対する、感情を作っている。
このような、日本の、真価というものが、たとえどこかの国が、日本を攻撃しようとしても
世界の中で、攻撃した後の、他国との経済や、外交を考えたら、二の足を踏むくらいの
防御となっている気がします。
しかも、無防備というのが、実は、どんなにたくさん武器をそろえる事にも叶わない
「無防備な国を攻撃するなんて」という世界の人の感情による防衛を、生む事ができると思うんです。
逆に、軍備を増強することは、
イラクがアメリカに攻撃されたような”大義名分の理由”を与える事にも繋がりかねない。
建前的には、人道上許されない、
許されそうに見える攻撃する理由をでっちあげる基礎となるものさえ与えないという防衛
本音であっても、日本が攻撃されそうになったなら、それなりの態度を取る事で
恩を売っておき、先々の利益に繋げようと思わせる価値を持つ防衛、
日本の先達がこつこつと作り上げてきた最大の防御、シールドだと、思います。
アメリカが日本に軍を駐屯させているのは、結局アメリカの戦略上の理由であり
日本を守るためには、なっていない、逆に一部の他国には
敵意を感じさせる理由になっている位だと、私は思う。
仮に、自前で武装防衛したとして、攻撃された場合、戦力による反撃をすれば
まず、その反撃の為の攻撃で、誰かが死ぬと思います。
戦力による反撃をしたときに、それに対する、再度の攻撃がなされれば
また、日本の街が焼かれたり、人が死んだり傷ついたりすると思います。
それの、どこが、日本人の命を守ることになるのか、理解できない。
日本はアメリカとは違う。
面積としても人口としても、あんなに大きくない。
だから、戦争はどこか別の場所で行い、他の人は野球や映画にうつつをぬかして
なんてことは、きっと、無理。
とすれば、攻撃された場合の反撃、更に、攻撃、という連鎖、つまり戦争という形になったときに
今教育や憲法に、加える加えないでごたついている形での愛国心の根拠とされている
文化や、歴史、の形として残っている遺産だって、破壊されるし
家族だって、失うし、大切な人も失うし、家も失うし、思い出のあるもの全て失ってしまったら
それは、一体、何を守っていることになるんだろうと、私は思わずにはいられないのですが。
他国から攻撃されたときにどうするのか、
について、私なりに考えてみる。
まず、どこの国が攻撃してくるだろうかという問題。
とりあえず、北朝鮮なのかなぁ?
ソ連が、あれだけの核弾頭を備えていた時代にも、今ほどそれを脅威としなかった以上
核爆弾にしてもあるのかないのかさえ、定かとはいえない北朝鮮がそれほどに脅威とされている事に
メディアの、現在進行形の罪という部分があるような気がする。
とりあえず北朝鮮だと仮定して、
まず、第一に、いわゆる
軍備を充実させ、武装による防衛が、強固なものであった場合
攻撃しようという国は、「かなわないから、やめよう」と攻撃を中止するだろうという
抑止としての理屈が示されますけれども
それこそ、日本だって真珠湾に、あれだけ強そうなアメリカに向かって、
突っ込んでいったではないか、
その国家のいよいよという場合の心理こそ、日本が記憶していてよく知っている事じゃないか
攻撃をしようという国が、そういう冷静な判断をしない事は、わかるじゃないか、と
思うんですが、何故か、あまりそのような反論は聞かないんですが、何故なんだろう
どっか間違っているのかも。どこなんだろう。
それとも、既にさんざん言われているのに、たまたま私が知らないのかも。そうかも。
で、日本の国として自前でそのような軍備をしないと定めた今の状態だからこそ
アメリカに逆らうわけにはいかなくなっているという訳で、アメリカに
毅然とした態度ができないのだと、いう説がありますけれども
アメリカに逆らって、アメリカが、”守らなくなった”状態になると
攻めてくる国って、どこなんでしょう?
北朝鮮が、日本に対してむかついているのは、日本がアメリカの基地を内包していて
アメリカがそこから、北朝鮮を攻撃するのではないかと、
思う部分があるからかもしれないような気もするし、
中国にしても、現在の国際的な立場で、今、日本という国が無防備になったからといって
攻撃して、想像される国際的な地位の面でのリスクをおしてまで、攻撃しないような気がする。
そういう判断は、できると思う。
日本を攻撃する為の口実を、日本が提供しないでいる限りは。圧迫したり、脅かしたり。
それは、中国ではなくても良いのですが
戦後60年、生き残った日本人は、ぼさっとしていたわけではなくて
多少やりすぎの感もあるくらい、いろいろなものを犠牲にして
がむしゃらに頑張って築いてきたものがあるからだと私は思う。
日本の技術でなくては作れないもの、日本の育てた頭脳でなければ研究できないもの
日本の情緒でなければできないもの(アニメとかも)が、あると思う。
アメリカのような、政府の強い力や、ひたすらの押さえつける圧力ではない
日本人個人達の、築いてきたもの、
技術や医療などの研究だけではなくて、
各国での、企業による仕事の中での交流、個人が渡航して築いた交流
近年では、地道に進められてきた
それこそ、イラクで支援活動をしていた人や
アフガニスタンで支援活動をしている人や
旧ソ連の小さい国で、アフリカで、ネパールで、様々な国で
個人の人が、それを目的とも意識してでもないのだけれども
地元の個人に対して、日本の人に対する、感情を作っている。
このような、日本の、真価というものが、たとえどこかの国が、日本を攻撃しようとしても
世界の中で、攻撃した後の、他国との経済や、外交を考えたら、二の足を踏むくらいの
防御となっている気がします。
しかも、無防備というのが、実は、どんなにたくさん武器をそろえる事にも叶わない
「無防備な国を攻撃するなんて」という世界の人の感情による防衛を、生む事ができると思うんです。
逆に、軍備を増強することは、
イラクがアメリカに攻撃されたような”大義名分の理由”を与える事にも繋がりかねない。
建前的には、人道上許されない、
許されそうに見える攻撃する理由をでっちあげる基礎となるものさえ与えないという防衛
本音であっても、日本が攻撃されそうになったなら、それなりの態度を取る事で
恩を売っておき、先々の利益に繋げようと思わせる価値を持つ防衛、
日本の先達がこつこつと作り上げてきた最大の防御、シールドだと、思います。
アメリカが日本に軍を駐屯させているのは、結局アメリカの戦略上の理由であり
日本を守るためには、なっていない、逆に一部の他国には
敵意を感じさせる理由になっている位だと、私は思う。
仮に、自前で武装防衛したとして、攻撃された場合、戦力による反撃をすれば
まず、その反撃の為の攻撃で、誰かが死ぬと思います。
戦力による反撃をしたときに、それに対する、再度の攻撃がなされれば
また、日本の街が焼かれたり、人が死んだり傷ついたりすると思います。
それの、どこが、日本人の命を守ることになるのか、理解できない。
日本はアメリカとは違う。
面積としても人口としても、あんなに大きくない。
だから、戦争はどこか別の場所で行い、他の人は野球や映画にうつつをぬかして
なんてことは、きっと、無理。
とすれば、攻撃された場合の反撃、更に、攻撃、という連鎖、つまり戦争という形になったときに
今教育や憲法に、加える加えないでごたついている形での愛国心の根拠とされている
文化や、歴史、の形として残っている遺産だって、破壊されるし
家族だって、失うし、大切な人も失うし、家も失うし、思い出のあるもの全て失ってしまったら
それは、一体、何を守っていることになるんだろうと、私は思わずにはいられないのですが。