sabato, luglio 09, 2005

何に

私は、今回のロンドンにおける同時多発テロも
2004年の大統領選挙劇とさほど変わらないCASTでおおくりされた
のではないかと、かんぐっているけれども、
他の人が、どう考えていようと、この際それはどうでも
いいことなのかもしれない(良くない気もするが)。

重要なのは、少なくとも、直に実行をした人間には
それなりに、自分の行動を”正当化”させることをした理由があったのだろうと思うし
本当に大事なのは、そのような、どのような理由があったにしても
爆破物をしかけ、犠牲者を出す事で、得られる良い事は、何も無い、
という事だと思う。
首謀者が、誰かと仲良しであって、
本当の意図は、どこかの誰かの経済的な利益であったとして
その、本当の意図をわかっていたら、自爆をするような人は自爆するのだろうか、
たくさんの人が亡くなるとわかっているような、動作を(爆弾仕掛けるとか)
良心の痛みに耐えてまで、やるだろうか、と思う。
だから、少なくとも、実行者は、出されている犯行声明を、本気で信じているのではないか
と思うけれども、そんな、どんな理由があろうとも
それでも、やはり、それはこの犯行に値する理由にはなり得ないのだという事を
わかってほしいと思う。
死ぬ人や、傷つく人を増やしても、実行者が理由にした事の結果は
得られるものではないと、思う。

遅すぎる決断であって、もっと、早期に、できる事なら
ことに及ぶ前に、気が付いて欲しかったことだけれども、
それでも、日本は、降伏宣言を出す事によって、戦争を終わらせる事ができると知った、
戦争を終わらせる事ができた歴史をもっていると思う。
戦争を終わらせる事ができて、もう、戦争による犠牲をそれ以上に
(既に多すぎるどころの騒ぎではなく多すぎたけれども)
出さない道を選ぶことをした、歴史を持つ国の国民である私達だと思う。
そして、結局、その事によって、現在の日本が成り立っていて
今現在、空爆をされる事にも、
今、突然”敵”の人に逮捕されて殺されるかもしれない事にも
怯えずに、暮らす事ができていると思う。

イラクの人の為にしてもアフガニスタンの人の為にしても
アメリカの人にしてもイギリスの人にしても
その人達に本当に必要なのは、見た目の形骸としての”勝利”ではなくて、
この、実質上の、勝利なのではないかと思う。
普通の人全ての、個人ひとりひとりにもたらされる勝利。
”敵”ではなく、「戦争」という本当の悪魔に、勝つ勝利。
平和に暮らせる事。
今、個人的な事情からではない理由で、会えないでいる友人と再会ができること。
自分たちの暮らしの為に、自分たちの暮らしに必要なものを造る事。
その為には、必要なのは
自爆する事でも、空爆する事でも、銃撃する事でも、爆破物を仕掛ける事でもないと
気が付いて欲しいと思う。
気が付いた歴史をもつ国の人間としては
気が付いてくれるように、働きかける役目があるのではないかと思う。

テロとの戦い、に加わるのではなくて。