domenica, giugno 19, 2005

めも

『従軍慰安婦の言葉なかった』 文科相発言
(東京新聞)

「憲法は今」 
(東京新聞)

戦没画学生 「無言館」の慰霊碑に赤ペンキ 
(MSN 毎日新聞NEWS)

入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部
(asahi.com)

下記の文章については、いくつか訂正したい部分がある。
多すぎて訂正しきれないので、後で別項で改めるつもりで居る。
たまたま訪問いただいて読もうとしている奇特な方は
書いた本人がそういう気分になっている文面である事を念頭において読んでください(6月20日)。

問題になった、試験問題原文と翻訳もいくつかのblogに掲載されてる。(各自検索御願)
何故、これが問題なのかわからない、戦争を肯定しているわけじゃないし、
という文章もいくつかみつけた。
建前的には言葉によらない伝え方もある、場合によってはその方がより鮮烈に伝わる
といった内容の文章のように思う。
試験問題云々を別として(は、いけないのですが、本来は。)この文章を読んで、
話される言葉によって、思い描くという事が、できなくなっちゃってるわけね、
と思った。実際に経験した方が話す話よりも、洞窟で明かりを消された時の方が
強い印象を受けた、っていうのは、随分動物的だなぁって思うんだけど。正直。
人間も動物だけどね、言葉を使う生き物なんですよ、とりあえず、今までのところ。

原文抜粋引用
we were a little afraid and nervous that we might have to listen to some stories, maybe even more shocking. Yes, the story that the old lady who survived the Himeyuri squad told us was shocking and gave us a great image of the war. But, to tell you the truth, it was boring for me and I got tired of her story. As she spoke more and more, I lost my strong impressions from the cave. I could see that she told the story so many times, on so many occasions, and she became so good at telling it.
(http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf)

要するにさ、この人は、笑えない話だし楽しくないし、それをこれ以上聞くのか
と、まず、少々憂鬱になったわけだ。
話じゃなくて1日24時間毎日毎日その状況そのものから逃れられなかった人の身になってみろよと、
思うのだけども、この人には何かが欠落していてそういう想像力は働かない。
更に、元学徒として実際に悲惨な目にあった人の話を聞きながら
随分話しなれてるなぁ、みたいな感想を、
世渡り上手なこの人としては、なんとなく書かないほうがよさそうと思いながらも
書かずには居られないほどに、まずこの印象を強く持っちゃったように見える。
これはねぇ、基礎情報があまりにも足りないのだと思う。
この人にとっての戦争の悲劇は、洞窟の暗闇止まりなんだもの。
こういう刹那的で偽悪的、露悪趣味である事を、
かっこよく思うような価値観を持っちゃう年齢に至るその前に
どれだけの情報を得る事ができてきたかっていう事なんじゃなかろか。
「はいはいはい、わかりましたよ。」って思ったって事でしょ、要するに。
その時点で、
ぜんっぜん、わかってないんだよおおおおおおおおおおお

I still remember how I felt when I saw the outside light
and how I thanked God when I finally got out of the cave.


こうなってくると、この人の、「どれだけ感謝をした事でしょう」っていうのは、
たいした感謝じゃなかろうと思える。
今が戦争じゃなくてラッキー、っていうような、その程度なのではないかと。

Of course we shouldn't say that the information
they got from their parents was wrong,
but what exactly did their parents say to them? And how?


「勿論、彼等が間違った情報を彼等の両親から得たなどと言ってはいけないが」

このいけないっていうのを、何故、いけないって思ってるかって言えば
「ぐだぐだ言われちゃうからね」って事なんじゃないの?ちゃうの?
で、これは、言っちゃいけないかもしれないけど、こうだよね、って
いう意味なんじゃないの?違うの?
傷つけられた人々の痛み、とか、まったく考慮外、に思えるのですが。
相手の言い分は、大袈裟なんじゃないのって言うのを
大前提に反意的な疑問文にしているように思えるのですが。

大袈裟じゃないと思うけどなぁ。
むしろ、時間によって自然摩滅した部分があって、
本来は、証言されている何倍もひどい事だったと思うけどなぁ。
私の主観なんかじゃだめだろうけど。第一次の、体験した証言者の言葉で
ぴんと来ないんだからして。

で、
ここまでただなにかしらの主張をしたい事を前面に出した試験問題を出されて
なおかつ、もしかしたら、この部分の失点によって落とされたのかもしれない
受験者も相当気の毒だと思う。
とにかく、想像力は無いのだから、受験者の気持ちも、わからないわけなのですよ。

なんでも、かんでも正義正論一点張りっていうのも、かゆくなってしまうが(かゆい?)
本質的な悪い事と良い事の区別があまりにもついていないというのも、
あんまり面白くもない。
何から何まで問答無用で禁止されてきたが為に
自分の身から考えたなりの価値観と善悪の基準がもてない従順さが
垣間見えるように思える。
悪い子ぶってみたが、その実、素直すぎるんじゃないかと。
ミルク飲み人形みたい。
人を傷つけて平然としていられるゆがんだ悪役をやりたいのだとしても、
最低限、自分のやっている事がどのくらいひどいのかわかってないと、
それで、「いくら悪くてもそこまで悪い事はできませんよ」っていう
慎ましさも必要なんじゃないかと。